2023年6月23日にロシアで突如勃発した民間軍事会社「ワグネル」の反乱から一年。
いまロシアで反乱の首謀者エフゲニー・ビクトロビッチ・プリゴジンを神格化するような動きが加速している。反乱のちょうど2カ月後に起こった飛行機事故での“死亡”からもすでに10カ月が経過しているのに、なぜ今、このような動きが起きているのか?
ウクライナへの侵攻が長期化する中で、一体なにが起こっているのだろうか?
ワグネルの旗をもっと高くと女性は指示を出していた この記事の写真は12枚コンクリートで埋められる墓地の謎
「もっと高く、もっと高く。もっと高くしなさい!」
5月31日、ロシアの古都サンクトペテルブルク市の北西に位置するポロホフスコエ墓地で、サングラス姿の女性が作業員たちに厳しい口調で指示をだしていた。ワグネルの旗が、隣のロシアの国旗より低い位置にあってはならないということのようだ。
作業員は2人がかりでワグネルの旗の黒いポールを持ち上げて、用心深く位置を定めると溶接を始めた。
溶接作業を始める作業員プリゴジン氏の墓が、突如コンクリートで埋められ始めたと地元紙が報じたのは5月14日だった。
ロシアでは棺を埋葬してから1年間は木製の十字架をたてる習慣がある。埋葬後すぐに墓石を設置すると土が沈んでしまうため、1年後に土が固まったら木製の十字架を墓石に変えるのだ。プリゴジン氏の飛行機が墜落したのは8月23日で、埋葬は8月29日。6月1日というと通常よりも3カ月も早いタイミングだ。
墓がコンクリートで埋められだしたというニュースが5月に報じられた時、多くのロシア人は耳を疑い、早速さまざまなコメントが地元メディアの記事に寄せられた。
中でも目立つのが、そもそもプリゴジン氏は死んでおらず、6月1日に姿を現すのではないかという憶測だ。
「プリゴジンはロシアに戻り、墓を訪れてこの記念碑を評価するのだろう」「つまり料理人(=プリゴジン)は生きているってことだ…そして、戻るタイミングをうかがっている…」
あるいは、コンクリートで埋めることは、真相を闇に葬ることだという指摘もある。
「何者かがプリゴジンの遺体が本当にあるのか確認しに来るのかと心配しているのだろう」「誰かが掘り起こさないようにするため?」
さらには誰かがプリゴジン氏が蘇るのを恐れているという見方まである。
「かつて中世ヨーロッパでは、死者が生き返るのを恐れ、死者の口にレンガを入れていた...そして、これが現代のロシアでの彼らの身の守り方なのだろう!」その後、墓にはプリゴジン氏の銅像が設置され、彼の誕生日である6月1日に盛大な除幕式が行われるといううわさが広がった。
実際、プリゴジン氏の誕生日前日にはワグネルの旗の設置など、最終的な仕上げが進んでいたというわけだ。
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“彼ら”はプリゴジン氏が死んでも恐れている“彼ら”はプリゴジン氏が死んでも恐れている
墓地の工事を行う作業員たちサングラスの女性は指示を出している様子からワグネルの幹部のようだ。なにか知っているかもしれない。
―墓石に変えるのは埋葬から1年後ではないのですか?なぜ急ぐのですか?「かならず1年でなければならないという決まりはありません。ここはもう古い墓地ですから問題はありません。6月1日は彼の誕生日ですし」 ―では、明日はセレモニーが行われるのですか?何時からですか?家族は来ますか?
女性は溶接作業を見つめたままこう言った。
「セレモニーは企画しました。でも、親族が嫌がったので行わないことにしました」 ―なぜ親族は嫌がったのですか?
「彼らから相当な嫌がらせを受けたからです」
彼女ははっきりといわなかったが、「彼ら」というのが「当局」を指すということは容易に想像がつく。
―嫌がらせですか?どんな?「彼らは何かをされることを恐れているんです。
プリゴジンが死んでも、その魂を恐れています。
この銅像を建てるのだって、さまざまな妨害がありましたし、家族に対してもです。
いずれにしても明日は何も行われません。
もうこれ以上、私はなにも話しません」
彼女は、具体的にどのような嫌がらせを受けたのか答えなかった。しかし、その話しぶりはプーチン政権がプリゴジン氏の再評価を恐れていることを物語っていた。
監視される墓地
プリゴジン氏の誕生日にあたる翌朝の6月1日。
早朝から墓地に足を運ぶとプリゴジン氏の銅像の前に女性警察官が1人で立っている。
近づくと、女性警察官は銅像の手前までいけるように道を開けてくれた。
―一晩中見張っているのですか?
「ええ」
―墓地にたった一人でいるのは怖くないですか?
「もうすぐ交代ですから」
そう言ってくすっと笑うそぶりを見せつつ、警察官は遠くに視線を送った。
振り向くと男性が2人、私のことをスマートフォンで撮影している。
気が付くと周囲には、不自然な2人組の男性が何組も墓地の中を歩いている。
早朝に複数の男性2人組が散歩で墓地を訪れるというのは不自然だ。
そして、全員がショルダーバックをかけている。
「両手を自由にしているのは治安部隊だから気を付けるように」と、以前あるジャーナリストに耳打ちされたことを思い出した。
みな治安当局の関係者で事態の急変を恐れ、ひっそりと監視を続けているのだろう。
死を信じないワグネルたちの理由
午前9時を過ぎると、市民や関係者と思われる人たちがやってきて、献花をしていく。
しばらくすると軍服に「ワグネル」のワッペンを腕に付けた兵士たちが続々と集まってきた。
どうやら待ち合わせをしているらしい。
数十人が集まると、1人1人順番に献花し、銅像をじっと見つめ思いを巡らせている。
彼らは、プリゴジン氏についてどう思っているのだろうか?
質問してみるとサングラスをかけた兵士は涙で声を詰まらせながら、プリゴジン氏を「父」と呼んだ。
「父はいつも私たちの心の中に生きています。あなた(=プリゴジン氏)が大好きで寂しいです。
私もチームも、考えなかった日はありません。そして私は常にあなたを愛しています」 献花する兵士の腕にはワグネルのワッペン
トゥバ共和国出身で、刑務所で服役中にプリゴジン氏の誘いにより戦場に赴いた兵士は、こう語る。
私は祖国を守るという非常に重要な決断を下したのです。
この旅、戦争を経験した者として、私は間違いなくプリゴジンの記憶に敬意を表する必要があります。彼は私たちの兄のようなものだからです。そして私は彼を尊敬しています」
献花に来る人びとは、プーチン大統領が「裏切り者」扱いしたプリゴジン氏への強烈な忠誠心を隠そうとしないだけではなかった。プリゴジン氏の死を信じていないという人もいた。
ワグネルで働き、プリゴジン氏を直接知っているという男性はこう強調する
「わたしは『彼は61歳になっていただろう』などという表現を使いません。エフゲニー・ビクトロビッチ(=プリゴジン氏)は地球上で最も賢い人の一人です。彼はそう簡単に死なないでしょう」
仮にプリゴジン氏が生きているとしたら、何を求めているのだろうか?
兵士たちは、プリゴジン氏がいなくなったことで、ロシア軍の状況は悪化したという。
ある兵士は、現在のウクライナ侵攻の是非や情勢について尋ねると用心深くこう答えた。
「諜報機関がすべてを監視しています」彼は暗に当局に聞かれてはまずいほどの不満を抱えているということを伝えたかったのだろう。
別の兵士は監視の目を気にしつつ端的に前線の現状を批判した。
「彼がいなくなったことで全てがダメになりました。プリゴジン氏が戦場にいた時私たちは前進しました。
しかし彼が去った途端、すべてが後退したのです」
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なぜプリゴジン氏は「神格化」されるのか?なぜプリゴジン氏は「神格化」されるのか?
プリゴジン氏の銅像プリゴジン氏がウクライナへの侵攻を巡る実態を暴露し、痛烈に国防省を批判する動画はインターネット上に今も溢れている。
ワグネルに関連するサイトはもちろんのこと、リベラルな独立系メディア「メドゥーザ」のYouTubeチャンネルでさえも、再生回数の上位4つはいまだに1年前のプリゴジン氏の動画だ。
戦死者の遺体の前に仁王立ちし「ショイグ、ゲラシモフ!弾薬はどこだ!」と、国防省が弾薬を意図的に前線に届けていないと怒りをぶつける動画の再生数は1316万回に上る。
プーチン政権の国防費を巡る汚職や戦略に公然と不満をぶつけ「あいつらは兵士を無駄死にさせている。“爺さん”は完全にアホだってことだ」と国防省を批判する動画は1113万回の再生を記録している。
断っておけば、メドゥーザはプーチン政権から敵視され、「好ましくない組織」に指定されている。読者層はリベラルな反戦派だ。
プリゴジン氏は残忍な言動で知られ、元囚人も多いワグネルの帰還兵による残忍な事件は今もロシア社会を脅かし続け、メドゥーザを始めとする独立系メディアもその問題を指摘している。
にもかかわらず、幅広い層のロシア人がプリゴジン氏の言動にシンパシーを感じている。
プリゴジン氏の墓に献花する兵士プーチン大統領の懐柔策と充満する不満
プーチン大統領はナワリヌイ氏らリベラル層を徹底的に弾圧し黙らせる一方、戦場に赴く兵士たちを「新しいエリート」と呼び、今後のロシア社会の中心を担っていくものたちだと持ち上げる。
ワグネルはまさに前線の最も危険な地域に繰り出し、ウクライナ侵攻を支えてきた集団だ。
プーチン氏は、5月の新政権発足以降、国防省の幹部らを更迭し、軍の改革姿勢を示そうとしている。
しかし、ワグネルの兵士やその支援者たちにはプーチン大統領の「懐柔策」は響いておらず、今も不満を抱き続けていることを、プリゴジン氏の神格化は物語っている。
プガチョフの乱
墜落現場の記念碑も整備されていた
ロシアでは、死んだはずの人物が歴史を揺るがすことがある。
エカテリーナ二世の統治下のロシアでは1773年、コサック出身のプガチョフという男が、死んだはずの「ピョートル三世」を名乗り、史上最大の農民反乱をひきおこした。
最終的に反乱は失敗し、プガチョフはモスクワで処刑されるが、バシキル人やタタール人など様々な民族も賛同し、各地の要塞を陥落させていった事実はエカテリーナ二世を恐怖に追い込んだ。
農奴制や重税に苦しんでした民衆は、自分たちを救ってくれようとする彼こそ「真の皇帝」に違いないと信じたのだ。
今のロシアも同じ状況かもしれない。
人びとの充満する不満にプーチン大統領が対処できない限り、今後、プリゴジン氏を騙る人物が現れないとは限らない。
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