ニューヨークで大谷フィーバーが起きている。5月末にメッツに3連勝したドジャースは、今週末に再びニューヨークでヤンキースとの3連戦に臨む。大谷選手を一目見ようと、多くのニューヨーカーが球場に足を運ぶ。高まる熱気の背景には、ドジャースの“ルーツ”もあるようだ。LAドジャースの前身は「ブルックリン」ドジャース。実はかつて「ニューヨークのチーム」だったのだ。一体どんなチームだったのか?NY市公認の歴史家・ロン・シュワイガーさん(79)を訪ねた。

―ドジャースの名前の由来を教えてください。

ロン・シュワイガーさん:
「ドジャース」の名前の意味は、もともとは「よける人たち」という意味です。かつてニューヨークのブルックリンにあった球場の周りには、たくさんのトロリー(路面電車)が走っていて、野球ファンはトロリーをよけながら球場に集まってきた。チームは、そうしたファンにちなんで、「ブルックリンのトロリーをよけて集まる人たち」=ブルックリン・トロリー・ドジャースと呼ばれました。その後、トロリーの名前は削除され、「ブルックリン・ドジャース」になったんです。

―当時の球場の雰囲気を覚えていますか。

ロン・シュワイガーさん:
球場のホットドッグとビールの香り、そして素晴らしい緑の芝生のことを覚えています。1952年、私は7歳くらいだったと思います。私は父の手を握っていました。私たちはホームベースのすぐ後ろ、バックネット裏のチケットを持っていました。球場に入ってフィールドを初めて見たとき、私は思わず立ち止まり、「芝が緑だよ!」と叫びました。父は「何を言っているんだ?」と笑っていました。当時は白黒テレビで野球を見ていたので、緑の芝生を見て感動したんですね。

1883年に誕生したドジャースはニューヨークにとって特別なチームだった。黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンが所属したチームでもある。黒人奴隷の孫として育ったロビンソンは、第二次大戦後に黒人リーグで素晴らしい成績を残し、ブルックリン・ドジャースに入団した。人種差別に基づく批判や中傷を跳ね返したロビンソンの大活躍もありドジャースは勢いづき、ワールドシリーズ優勝を果たすなどチームは黄金時代を築いた。

―1955年にブルックリン・ドジャースはワールドシリーズで優勝し、世界一となりました。

ロン・シュワイガーさん:
私にとって1955年は特別な年です。当時、私は10歳で野球に夢中でした。私のお気に入りの選手はジャッキー・ロビンソン。いつも彼のバッティングフォームを真似していました。友達とトロリーに乗って球場に行き、選手たちに会ってサインをもらったものでした。球場の隣にガソリンスタンドがあって、選手の中にはそこに駐車する人もいました。試合が終わると、子どもたちはそこで待つのです。シャワーを浴びて普段着に着替えた選手たちがサインをしてくれるのです。

人気・実力ともにメジャーリーグのトップレベルのチームに成長したブルックリン・ドジャースだったが、1957年におよそ4000キロも離れたロサンゼルスへの移転が決定した。新球場の建設をめぐるニューヨーク市との交渉が上手くいかなかったことが原因とされる。一方で、飛行機の発達によってアメリカ全土でメジャーリーグの試合が行えるようになったことも時代背景もある。ちょうどこのころ、同じくニューヨークを本拠地としていたジャイアンツもサンフランシスコに移転している。

―なぜドジャースは移転したのですか。

ロン・シュワイガーさん:
ブルックリン・ドジャースの当時のホームスタジアム「エベッツ・フィールド」は老朽化していました。1913年にオープンしたこの球場は、1950年代にはずいぶん古くなっていて、当時の球団オーナーは新しくて近代的な球場を望んでいました。ニューヨーク市に対し新しい球場の建設に必要な支援を要請しましたが、うまくいかなかったのです。現在、NBAのブルックリン・ネッツのアリーナがある場所に、ドジャースの球場ができるはずだったんです。

―ドジャースの移転はブルックリンに衝撃を与えたのでは。

ロン・シュワイガーさん:
ドジャースがカリフォルニアに行くと発表されたときは、胸を撃ち抜かれたようでした。まるで家族の一員が亡くなったかのように感じました。ほかのファンがどう感じたかは分かりませんが、私は4000キロも離れたチームを応援することはできませんでした。試合を見に行くこともできないのです。だから、1962年にニューヨーク・メッツが設立されるまで、私は野球を見ることをやめていました。

同じころ、マンハッタン北部にあったジャイアンツもカリフォルニアに移転してしまいました。人口800万人のニューヨーク市にはヤンキースを含めた3チームがあったのです。ブルックリンのドジャース、マンハッタン北部のドジャース、ブロンクスのヤンキースです。ドジャースのチームカラーは「青」、ジャイアンツのチームカラーは「オレンジ」だったので、その2チームが去った後に作られたメッツは青と赤がチームカラーとなりました。それ以来、私はずっとメッツを応援しています。

いまやメジャーリーグのスーパースターとなった大谷選手は昨年、ドジャースに移籍した。一時はヤンキースやメッツも移籍先の候補として取りざたされたこともあり、ニューヨークでの知名度も抜群だ。メッツとの3連戦では誰よりも大きな歓声を浴びた。大谷フィーバーを受け、メディアで「ブルックリン・ドジャース」が取り上げられるなど、ドジャースの歴史にも光が当たっている。

―長年の野球ファンとして大谷選手の活躍をどう見ますか?

ロン・シュワイガーさん:
大谷翔平は素晴らしいアスリートです。彼のようにピッチングもバッティングもできる選手は他に思い当たりません。彼がニューヨークに来るたびに、球場は満員になるでしょう。多くの人が大谷選手のプレーを見るために球場に行くのです。ニューヨークのファンはドジャースの勝利を応援しているわけではないかもしれませんが、素晴らしい野球選手が見たいのです。でも個人的には、メッツとの試合では大谷選手が活躍しないことを願っています笑。

―ブルックリン・ドジャースの存在も再び注目されています

ロン・シュワイガーさん:
ブルックリン・ドジャースの思い出を今でも大切にしている人はたくさんいます。私は地元で行われるメッツの2軍の試合もときどき見に行きます。そこでは今でもブルックリン・ドジャースの帽子やシャツを身に着けている人を見かけます。そういった人たちのほとんどは私と同年代ですが、中には若いファンもいるようです。おそらく父親や祖父がブルックリン・ドジャースのファンで、それが受け継がれてきたからでしょう。

私はもう老人ですが、ドジャースにまつわる記憶は子ども時代の幸せな思い出です。そして、実は「ブルックリン・ドジャースは移転したわけではない」と感じることもあります。ドジャースは長い旅に出ているだけで、いつかブルックリンに戻ってくるような気がするんです。

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