長男が使っていた椅子にそっと手をかける父親。机には新幹線などのおもちゃが飾ってある=北海道内で2024年4月8日午後3時24分、後藤佳怜撮影

 ペンを握ると、涙が止まらなくなった。この書類を書けば、我が子がもういないという事実を受け入れることになる。2年前、7歳で冷たい北の海にのまれ、見つからないままの長男。父親(51)は悩み抜いた末、行方不明者を法的に亡くなったものとして扱う「認定死亡」の手続きをした。「帰りを待つ気持ちは変わらない」。そう自分に言い聞かせ、愛する息子の名前を書き込んだ。

法廷で思い伝えるため

 長男とその母親(当時42歳)ら計26人を乗せた観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」は2022年4月23日、北海道・知床半島沖で沈没。20人が死亡、母子を含む6人の行方が分からなくなり、道内に住む父親は2人の帰りを待ち続けてきた。

 認定死亡は戸籍法に基づき、行方不明者の死亡を行政機関が判断する。海難事故では発生から3カ月以上が過ぎ、亡くなったことが確実な場合に認められる。

 父親はずっと、その手続きや葬儀をしないつもりだった。「いつかやらなきゃいけない日が来るのかな」とも考えたが、現実を受け入れたくなかった。何より、長男の名前を残してくれていた学校から籍がなくなるのがつらかった。

長男が使っていた新幹線柄のリュックサック。事故後、知床沖の海上で発見された=北海道内で2024年4月8日午後3時23分、後藤佳怜撮影

 昨年11月、犠牲者の遺族らが、運航会社「知床遊覧船」と桂田精一社長に損害賠償を求めて提訴する方針であることを弁護士から聞いた。原告として参加するには、法的に「遺族」である必要がある。

 桂田社長は発生直後の記者会見以降は公的な場に出てきておらず、反省しているとは思えなかった。「2年たっても、誰も事故の責任を取っていない。法廷で直接、思いを伝えたい」。2人を巻き込んだ事故の責任を追及したいと願い、2カ月間ほど悩んだ末に、認定死亡の手続きをすることを決める。

 「書類上の手続きだけだ」と心を決め、2月中旬のある日、市役所に向かった。申請手続きは、自分と長男の名前や住所を書くだけ。だが「この場を早く去りたい」とつらい気持ちでいっぱいになり、涙があふれた。

 手続きに際し、長男が通っていた小学校を訪れた。校長は「いつ戻ってきてもいいように、態勢を作っておきます」と言葉をかけてくれた。あの子は今春、4年生になるはずだった。その名前が教室の机や椅子から消えると思うと、どうしようもなく寂しい。

 申請は3月末に認められた。命日は、船が沈没した22年4月23日とされた。手続きを終えても、気持ちに大きな変化はない。「2人が見つかったり、社長が刑事責任を問われたりしたら、何か変わるかもしれない。だが2年間はあっという間で、年月を感じない」

 だから、2人のために手を合わせることがまだできない。自宅には、長男の学習机やランドセルを置いた部屋がある。机の真ん中には、カメラマンだった母親が撮った、チョウネクタイ姿で満面の笑みを浮かべる長男の写真が飾ってある。日当たりが良くて静かなこの部屋には、あまり入りたくない。大好きだった電車や新幹線のおもちゃ。カズワンに乗った時に背負っていたリュックサック。一つ一つに思い出があふれていて、つらくなってしまうから。

電車好きの長男がずっと眺めていた、鉄道のジオラマ。父親は事故後、電車や踏切を見るのがつらくなり、避けるようになった=北海道内の児童館で2024年4月9日午後2時6分、後藤佳怜撮影

「事故の責任、明らかに」

 事故から1年となった昨年の発生日は、カズワンが出港したウトロ漁港の近くで、荒れる知床の海を見た。「あの日もこうだったのか」。揺れる乗り物が苦手で遊園地のメリーゴーラウンドも乗れなかった長男が、傾いて沈んでいく船の中でどれだけ怖い思いをしただろう。そう考えると、胸が苦しくなった。

 だが今年も、23日は知床に向かうと決めた。他の被害者家族に会って話し、事故後に寄り添ってくれた別の事故の遺族にも感謝を伝えたいからだ。

 父親は事故後、うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、会社も退職。今年3月には、週3日のアルバイトを始めた。睡眠障害があるため、1日6時間の勤務も負担が重く、布団から起き上がれない日もある。「事故で体調が一変したので、この先ちゃんと働いていけるのか不安が大きい」

 乗客14人の遺族約30人は5月にも、会社側に損害賠償を求める集団訴訟を起こす。自身も原告に加わり、重い体を引きずって裁判の準備を進めている。裁判で意見陳述をしたいと手を挙げ、2人への思いや事故後の精神的苦痛を文章につづっている。

 全ては「事故の責任をはっきりさせて、風化させないため」。法廷で語るための言葉を、一人で少しずつ紡いでいる。癒えない苦しみを抱えながら。2人の笑顔を思い出しながら。【後藤佳怜】

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