元日の能登半島地震から半年。

全半壊した住宅を公費で取り壊す“公費解体”は、申請約2万800棟に対し、完了はまだ911棟です。

自宅に戻れない人も数多くいます。

福光昌江さん(70)は、地震で夫を失いました。

福光昌江さん
「突然の出来事で、主人が『助けてくれ』と言うですけど、真っ暗で、どこにいるかわからない。私も暗いところにいるんだし、『どこにいるの、姿、全然見えないよ』と言って、それっきり。声が聞こえなくなって、その時間に亡くなった」

これまでの犠牲者は299人となり、熊本地震の犠牲者を上回りました。災害関連死が70人に上ったことが原因です。

山下文子さん(80)は、能登町で暮らしていた母親・高橋千代子さん(100)を地震後に亡くし、災害関連死に認定されました。

地震発生後、高橋さんは避難所で一夜を明かし、その後、娘の山下さんの家で過ごすことになったといいます。山下さんの家に来たときは、身の回りのことは、ほとんど自分でできる状態でしたが、直後、変化があらわれます。避難所から移り、2日で介助なしでは食事を取れなくなりました。

山下文子さん:「あした『ちゃんと起きて、朝ご飯食べようね、お休み』って。次の朝、あれでしたから」

「お休み」が、親子の最後の会話です。翌朝、山下さんが朝食を持っていくと、高橋さんは亡くなっていたのです。

山下文子さん:「なんで亡くなったとき、見てあげなかったのか。悔しかった」

少なくとも160人以上が申請中の災害関連死。これからも増えることが確実視されています。

一方で、危険性を認識していても、生活のため、車中泊を続けている新聞配達員の菊谷正巳さん(71)。自宅が被災したため、日中はガレージで過ごし、睡眠は車の中で取っています。真夜中の午前1時半には仕事に向かわねばならず、迷惑はかけられないと避難所には行っていません。

菊谷正巳さん
「1月1日からずっと車中泊。(Q.ここの生活は大変ですか)足、伸ばして寝られるものですから、あんまり苦にはならないです」

苦ではないと言うものの、体に不調があらわれるようになっています。車中泊を始めてから足がむくむようになったといいます。

能登半島地震で災害関連死に認定され、経緯が公表された33人の中で31人が70代以上の高齢者です。いかに高齢者を守るかが課題として突きつけられています。

菊谷さんは、先月30日、足のむくみが気になると、初めて無料検診を受けました。大きな問題ではないというものの、医師には注意を促されます。仮設住宅に入れれば良いのですが、いつになるかわかりません。

被災者の変化を見逃さない。そんな取り組みが続けられています。

千葉県の社会福祉協議会のメンバーが1日、被災した高齢者のもとへ向かいました。
健康相談のみならず、些細な出来事も吐き出せるよう、全国から集まった社会福祉協議会のメンバーが1日100軒以上を巡回しています。

千葉市社会福祉協議会・桑野貴輝さん
「孤立したり、引きこもったりすると、孤独死が増えてくるのではないか。コミュニケーションが、こういったときには大切になる。誰かと会話することを強く言っている」

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▶能登半島地震特集

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