[戦後80年へ]
沖縄戦中に戦利品として持ち去られた教科書とノート計3冊が「慰霊の日」前日の22日、米国ワシントン州シアトルの民家から沖縄に速達便で返却された。ノートの表紙には丁寧な文字で「Kainan Middle School 宮里清松」とある。沖縄の文化財の返還活動を約40年続けるNPO法人琉米歴史研究会の喜舎場静夫理事長が受け取った。喜舎場さんは「『慰霊の日をふるさとで過ごしたい』という魂が詰まっていた3冊。持ち主を探したい」と話している。(南部報道部・平島夏実)
「Kainan Middle School」は那覇の旧制開南中とみられる。3冊とも、基地や道路の建設を担う米海軍建設工兵隊として1944年5月から46年1月まで沖縄に滞在した故ジャック・キングさん(享年84)が所有していた。退役後は数学の教師。蔵書の中から遺族が見つけ、琉米歴史研究会宛てに速達で返却した。
ノートはA5サイズに近く、厚さ約3ミリ。数式や地理のメモのほか「春ちゃん。もう少し兄の気持も察して呉(く)れ」という一文で始まる文章も書かれている。
ほぼ同じサイズの英語の教科書は表紙と裏表紙が欠けた150ページ分。赤や青の色鉛筆で所々に下線が引かれ、筆記体での書き込みもある。
「彼は戰死したと思はれてゐたので彼から手紙が來た時は少なからず驚いた」「私は外國の新聞や雜誌を讀んで外國人が戰爭についてどんなに思つてゐるか知りたいのです」「恐れ入りますが靖國神社へ行く途をお教へ下さいませんか」など、当時の世相を反映したような例文が並んでいる。
もう1冊は表紙に「代數學自由 上巻」とあり、数学の試験対策本とみられる。
沖縄戦では、沖縄のあらゆる物を米兵が戦利品として本国に持ち帰った。民家に残されていた家族アルバムが多く、トートーメーや日の丸の旗などもあった。後方支援担当の米兵は戦利品を直接手に入れる機会が少なく、前線から戻った戦闘員にたばこやビールを渡して譲ってもらったという。
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