「寝たきりでも旅行したい」。重い病気や障害を抱える人たちのそんな思いに応える旅行サービスがある。先祖の墓参り、娘の結婚式、家族との温泉旅行――。制約がある中でかけがえのない旅を実現した人たちからは感謝の声が寄せられているという。手がけているのは、新型コロナウイルス禍にコロナ患者の搬送を担ってきた小さな民間救急の会社だ。
「こちらはフェリーで四国へ渡ったご家族。こちらは嬉野温泉です」。福岡県糸島市の有限会社羅漢(らかん)の事務所で、社長の徳久武洋さん(48)が利用者の旅行写真をつづったアルバムを広げた。ストレッチャーなどで横になった人たちが旅先で見せた笑顔はどれも印象的だ。
フェリーで四国へ渡ったのは大分県の70代男性だ。血液のがんで入院し、先は長くないと言われていた。「郷里の家を見て墓参りがしたい」。そんな男性の思いをかなえられないかと、男性の娘から相談が寄せられた。徳久さんにとっても狭いフェリー内での移動などは初めてだったが、運航会社側などと事前調整をして、当日を迎えた。
男性はフェリー内で妻が握った新米のおにぎりをほおばり、「銀シャリはたまらんね」と喜んだ。郷里では地元の友人らが出迎えるサプライズもあったという。男性が息を引き取ったのは旅行から帰った約1カ月後。遺影には旅行時の写真が使われた。
他にも「北島三郎さんのコンサートに行きたい」「かつて家族旅行した場所をもう一度巡りたい」などさまざまな願いをかなえてきた。「また行こうね」「次はどこに行こうか」。そんなささやかな希望が闘病生活を送る人たちや家族の支えになると、徳久さんは感じている。
ただ、重い病気を抱えた患者を遠方に連れ出すのは容易でなく、容体が急変するリスクもある。欠かせないのが専門スタッフだ。羅漢には徳久さんの妻で看護師の和緒さん(47)や4人の介護士、10人の登録看護師がおり、利用者に合わせて随行し、出発前には病院と入念に打ち合わせる。移動に使う専用車両には、心電図など高額な医療機器を自費で備えた。
民間救急や介護タクシーの業者では、旅行時の搬送のみなど部分的に請け負うところもあるが、徳久さんの会社では、移動はもちろん、宿泊先の提案、旅先での食事や入浴の介助なども一括して担う。宿泊先のバリアフリー状況も把握して相談や支援をする会社は全国でも珍しいという。
徳久さんは元々、親族らと葬儀業を営んでいた。新たに地域貢献できる事業をしようと2013年、民間による患者の搬送事業、いわゆる「民間救急」に参入した。転院する患者の病院間の搬送などに当たる中、よく耳にしたのが「旅行に行きたい」という患者や家族の切実な声だった。そこで19年、旅行サービスの提供を始めた。
しかし直後に新型コロナの感染が拡大。以降約2年半にわたり、県との契約に基づき、コロナ中等症患者の搬送を担った。感染の「波」が来る度、目張りした専用車両で防護服を身に着けての業務は多忙を極めた。そんな中、徳久さんは、患者と家族が搬送の合間に顔を合わせるわずかな時間に「お父さん」「お母さん」などと呼び合い、時に涙して触れ合う姿を目の当たりにした。
コロナ禍では病院での面会がかなわず、在宅で家族のみとりを希望した人も多かった。徳久さんは「感染防止を理由に絶たれそうになっている家族の絆をつなぎたい」という思いを一層強くした。
手探りで始めた旅行サービスは、この5年間に日帰りで100件を超えた。宿泊を伴う旅行も10件近くの実績を重ね、患者を送り出す病院や施設の理解も広がってきたという。
和緒さんは、がん化学療法看護認定看護師としてかつて大きな病院に勤務。当時は多くの患者と接する中で要望に十分に応えられずもどかしさを感じたこともあったが、「今は患者一人一人の思いに寄り添い柔軟に対応できる充実感がある」と手応えを語る。
徳久さんは、寝たきりの人たちの旅行を支える業者の裾野がさらに広がってほしいと願う。「旅行なんてできないと思っている人も多い。制約があっても諦めなくてもいい世の中にしたい」【平川昌範】
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