県内の労働力不足と外国人人材の活用について、インドネシアの取材を通して考えていきます。日本で働きたいというインドネシアの若者の思い、そして、その若者たちを送り出す現地の教育機関を取材しました。
ジャカルタ中心部から車で1時間半ほどの場所にある地方都市「ブカシ」。ここに日本で技能実習生となる若者たちを送り出す機関があります。
「こんにちは、よろしくお願いします」
インドネシア政府から認定を受け、日本語や日本のマナー、職業訓練まで、3カ月間で若者たちを教育しています。インドネシア国内にはこうした政府認定の送り出し機関が500近くあります。
「きょう日本に出発する。全員左官として日本に行く」
この施設の代表を務める前川恵三さんです。両親は日本人ですが、インドネシアで生まれ育ち、国籍もインドネシアです。ちょうどこの日、日本へ出発する若者たちへ最後の激励をしていました。
フジビジャックプレスタシー 前川恵三 社長
「日本に行ったときに『いや~インドネシア人はすごいな』ってくらい見せてやってください。インドネシアに戻ってきた時には成功の道を作って歩んでください。分かりました?」
実習生「はい!わかりました!」
3カ月間のトレーニングを終え、この日から3年間、埼玉の企業に左官として技能実習に行くといいます。
Qインドネシアに戻ってきたら何したい?
「はい!社長になりたいです」「はい!下宿を建てたいです」
念願の日本行きを前に将来への思いも膨らみます。ここでは、日本の技能実習生として建設や農業など幅広い職種に年間約500人を送り出しています。3カ月の教育は、平日の午前7時から午後4時まで。旅館やホテルで働く技能実習生に向けてはベッドメイクを学べる場所も用意するなど、実践的・具体的な指導を行なっています。
フジビジャックプレスタシー 前川恵三 社長
「コップの(持ち手)は必ずこっち向き。またコップの汚れを見るときもこうじゃなくて、こうやって明かりを入れてこうやって見るとか。できるだけ日本に行く前にここで教えられることは教えちゃう。一番の目的は実習生が日本で困らないためですね。それが大事。なんせ日本語で必死なので、それで仕事ができなかったら何も余裕がないので」
インドネシアの最低賃金は最大都市ジャカルタでも日本円で月額5万円ほど。地方ではさらに低くなります。家族のため、自分の将来のため。「日本に行けば明るい将来が待っている」と多くの若者が夢を抱き集まってきます。
ニタさん(21)
「将来は洋服を売る商売をしたい、それから貯まったお金で田んぼを買いたいです。田んぼの売買は儲かるのでそこで成功を収めたいです」
フジビジャックプレスタシー 前川恵三 社長
「基本的に100%高卒です。こちらで高卒ですとなかなか正社員になれない。契約社員で雇われて、大体2年で契約切れてまた探さないといけない。また最低賃金が毎月2万円なので、それだったらみんな日本にいってキャリアを積んで技術を学んでインドネシアに戻ってくれば、自営業とか幅広く夢が広がっていく」
一方で、誰もがここで日本行きを目指せるわけではありません。ここに入るにはまず基本的な日本語を習得していることが条件となりますが、インドネシア国内の日本語学校の相場は約8万円と最低賃金の数倍です。さらに、IQテストや基礎学力を図るペーパーテスト、健康診断を受けたのち、もう一つ大きな関門があります。
この日行われていたのは、日本の企業のオンライン面接。送り出し機関に入るためには技能実習生として企業から内定を得ている必要があるのです。
インドネシア人男性
「私にチャンスをお願いいたします。3年間、5年間一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします」
面接は通訳を介しながら1人10分ほど。企業によっては包丁の扱い方など実技試験をすることもあります。募集に対して、約3倍の若者が受験するという狭き門です。
フジビジャックプレスタシー 前川恵三 社長
「みんな必死です。お客さんも真剣になって、互いに真剣に面接します。なので(面接に)合格したときの喜びはすごいです。彼らにとっては人生が変わるくらいの気持ちで来ています」
企業からの内定を得てようやく入学できますが、必要な費用は約22万5000円。教育費の他、パスポートやビザの申請費、保険など諸経費が含まれていて、これも大変な金額ですが、インドネシア国内の相場としては安い方だということです。
20歳のアフマッド・イクサンさん。今年11月から日本の工場で働く予定です。
「ジャカルタで仕事を探すのは難しいです。給料が低い上になかなか見つけにくいです。日本で働きたいです」
高校卒業後、複数の仕事を経験しましたが、どれも賃金は低く、家族を経済的に助けたいと日本行きを決意しました。日本語学校や送り出し機関に支払う費用は実家を担保に、銀行から借りて工面したといいます。アフマッドさんの実家を訪ねました。建設現場で働く父と専業主婦の母、姉2人の5人家族ですが、一家の収入は少なく、食事は卵とインスタントラーメンが中心。室内には扇風機のみでエアコンを買うのは夢のまた夢だそうです。少しでも生活費の足しになればとアフマッドさんは冷凍庫で凍らせたミネラルウォーターを近所で販売しているといいます。
アフマッドさんの母 イダヤンティさん
「家族みんな寂しいですけど、親としてやっぱり息子の夢をサポートしたかった。なので日本に行きたいって言ったときも資金繰りをできるだけ頑張りました」
アフマッドさんは将来について「日本で稼いだお金で養鶏場を運営し、最終的に家族に還元したい」と話します。近くに住む祖母のマイサロさんはこの地域では日本に働き行く人は珍しく「孫は家族の誇り」だと目を細めます。
アフマッドさんの祖母 マイサロさん
「孫が日本に行くことがとてもうれしいです」
日本で働くインドネシア人は去年10月時点で12万1507人と、この5年で2倍以上に増加しました。
フジビジャックプレスタシー 前川恵三 社長
「彼らのモチベーションは高いですね。チャンスは2度と来ないっていう気持ちで日本に行きますので。だから彼らもここに来るのも必死で真剣に参加しています」
労働力不足の日本と、日本で働きたいインドネシアの若者。需要と供給は一致しているように見えますが、インドネシア国内で高いハードルをいくつも超えないと日本に行くことが叶わないという厳しい現実もありました。
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