鹿児島唯一の百貨店で老舗の「山形屋」が約360億円の負債を抱えて経営が悪化、金融機関の支援を受けながら再建が図られることになった。地域に愛される“ふるさとのデパート”がなぜ苦境に陥ったのか。そこには全国の百貨店が直面する課題があった。
売上高はピーク時から半減
南九州随一の繁華街、鹿児島市・天文館エリアにある「山形屋」。始まりは江戸時代の中頃、山形県生まれの商人が現在の鹿児島市金生町に呉服店を構えた時とされる。
この記事の画像(10枚)1917年には株式会社化され、日本で3番目の百貨店として営業を開始した老舗の百貨店として長く鹿児島の経済をけん引してきた。
1984年には2号館がオープンし、初日の入店者は15万人にのぼった。
定期的に開かれる催事も人気を集め、中でも「北海道の物産と観光展」は30回以上の売り上げ日本一を記録し、山形屋の代名詞となっている。売上高は順調に伸び、1997年2月期には約687億円とピークを迎えた。
しかし、そこから売上高は減少に転じた。要因として挙げられるのは2004年のアミュプラザ鹿児島、2007年のイオンモール鹿児島といった大型商業施設のオープンだ。
さらにコロナ禍の2021年には、売上高が前年を100億円以上も下回る312億円へと急降下した。計算すると、売上高がピーク時の半分以下に落ち込んだことになる。
加えて耐震工事などの設備投資が重なったことも追い打ちをかけ、山形屋を中核とするグループ17社が抱える負債は総額約360億円に膨らんだ(2023年2月期)。
デパートの強みが弱点になっている
ここまで山形屋が追い込まれてしまった背景には何があるのか。
百貨店と地域経済の関係に詳しい神戸国際大学経済学部の中村智彦教授は「今回のニュースを聞いて、『山形屋、お前もか』というショックな気持ちもあるし、反面、やっぱりなという気持ちもある」と複雑な心境をにじませた。
山形屋の経営難に驚きながらも「やっぱり」と話す中村教授が指摘するのは、全国の多くの百貨店が直面する課題だ。
中村教授によると、生活様式や買い物スタイルの変化が、全国の百貨店の経営を直撃しているという。
例えば購買力がある若者は、百貨店ではなく郊外のショッピングモールに出掛けるようになり、洋服もネットで買うようになった。百貨店が取り揃える高級ブランドは、新品を買うのではなくリサイクル品を選ぶ。中古品への抵抗感が低い若い世代ほど、中古品を買う傾向が見られるという。
つまり、これまでデパートが強みとしていた部分が徐々に弱点になっていると、中村教授は強調する。
増えつつある“百貨店空白地域”
全国の地方百貨店では、再建を諦め、閉店したところもある。唯一の百貨店が閉店した島根・松江市を訪ねた。
JR松江駅前にある「一畑百貨店」は島根県唯一の百貨店だったが、2024年1月、業績悪化を理由に姿を消し、閉店以降も建物は取り残されたままになっていた。地元市民にとって一畑百貨店は大きな存在だったという。
松江市では、一畑百貨店との取引事業者や100人を超える雇用にいても対策を講じた。
全国では2020年以降、百貨店が一つもない県、“百貨店空白地域”が増えつつある。
島根は、山形、徳島に続き3つ目の百貨店空白地域となった。
山形屋“事業再建”への道
各地の百貨店が業績悪化で閉店に陥る中、山形屋は5月28日に開かれた債権者会議で、取引先の金融機関17行すべてから事業再生計画案について同意を得たということで、計画に沿って経営再建が図られることが決まった。
計画では、メインバンクの鹿児島銀行を含む3人の役員出向を受け入れること、8月にはグループ会社の統廃合を実施し運営の効率化を図ることなどが挙げられている。
苦しい状況に置かれる百貨店業界。
後編では、地域から百貨店が消えた島根県のケースを通して、山形屋が“生き残るために必要なこと”を考える。
(鹿児島テレビ)
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