私事を書かせていただけば、台湾に嫁入りしている娘のあちらのお母さんが最近、亡くなられた。94歳だった。子供が結婚した場合の双方の親同士を韓国語では「サドン」というが、日本語ではどう訳せばいいのだろう。そのサドンになる前に台湾にあいさつに出かけたとき、開口一番「私は昔、ヒロタミチコ(廣田美智子)でした」とにこやかにあいさつされた。

日本統治時代に日本式姓名が導入された際、元の名前が「黄翠蓮(コウ・スイレン)」だったため姓にコウと読める「廣」を入れたという。そして小学校時代の思い出になり「当時の日本人の恩師を招いて何回も同窓会をやりました」とひとしきり「恩師の山中貞則先生」のことが出た。

山中貞則(1921~2004年)は鹿児島県出身の自民党国会議員で防衛庁長官や通産相などを歴任した大物政治家だが、青年時代に台湾で教鞭(きょうべん)をとっていたのだ。サドンからその名前が出たとたんにうれしくなり「実は私も故郷は鹿児島なんですよ」となってお互い一気に距離が近くなった。日本語も達者で意思疎通にありがたかった。

韓国でも以前は昔の日本人先生の思い出や、戦時中の日本人戦友との戦後の〝戦友会〟を懐かしく語る人がいたが世代交代してしまった。今や耳にするのはメディア経由の殺伐とした話ばかりだ。(黒田勝弘)

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