共和党ドナルド・トランプか民主党カマラ・ハリスか。11月5日の米大統領選で誰が選ばれようと日本は同盟国として米国と道を共にする。では米国と対立する中国はどちらに期待するのか。それは米中の問題のみならず日中関係の今後を占う上でも重要なのだ。
中国の米国政治研究の権威で北京大学の王緝思(おうしゅうし)は「どちらが大統領になっても中国に挑戦と不利益をもたらすだろう」と突き放した。なぜこんな結論を出したのか。
(元テレビ朝日北京支局長 安江伸夫)
■米の対中政策を注視する中国のキーパーソン
王緝思は筆者が北京特派員だった1990年代から中国の対米政策の行方を知る上でキーパーソンとして長年注目してきた人物だ。習近平政権では外務省の政策諮問委員を3年間務めた。一方で米国の有力シンクタンクともつながりを持ち米歴代政権の対中分析にも影響を与えてきた。
王緝思氏(北京大学HP) この記事の写真は10枚その王緝思が「中国に挑戦と不利益をもたらすだろう」と訴えたのが今年8月1日に発表した「中国はハリスとトランプのどちらが好きか」という思わせぶりなタイトルの論文だ。米国の国際政治専門誌『フォーリン・アフェアーズ(ネット版)』に同僚研究者らと3人で寄稿したものだ。発行する外交評議会は100年以上の歴史を持つ組織で民主・共和両党の政治家や各政府機関、シンクタンクなどとつながり、同誌の掲載論文は米政権の外交政策に大きな影響を与えてきた。
王緝思氏らの論文(「フォーリン・アフェアーズ」HP)次のページは
■米中で波紋を広げたタカ派論文■米中で波紋を広げたタカ派論文
この王緝思らの論文発表にはきっかけがある。大統領選まで半年となったこの5月以来、このフォーリン・アフェアーズ誌上で米国の対中戦略をめぐり激しい論争が続いたことだ。
口火を切ったのはトランプ共和党政権に仕えたタカ派の論客、ポッティンジャーとギャラガーによる共同執筆論文「中国との競争に米国は勝たねばならない」だ。隔月刊発行のフォーリン・アフェアーズ5月、6月号に寄稿した二人はトランプが再選されれば間違いなく政権内に入るだろうと言われている。
マット・ポッティンジャー氏(写真:AP/アフロ)マット・ポッティンジャーは安全保障と外交政策で助言する大統領副補佐官を務めた。中国語が堪能で、政権発足直後で米中対立が際立つ前の2017年には米企業代表団を率いて習近平主席肝いりの一帯一路の国際フォーラムに参加した。日本からはこの時、親中派の二階俊博自民党幹事長(当時)が訪中したが、米国からはタカ派が北京入りしたのだ。
習近平国家主席と二階俊博自民党幹事長(当時) 2017 年 5 月の一帯一路フォーラムで(中国外務省HP)共同執筆者のマイク・ギャラガーは共和党下院議員でバイデン政権時代に連邦議会下院にできた「中国特別委員会」の初代委員長だ。これは中国共産党の脅威に対抗する政策の法案化を進めることを目的とした会議だ。
マイク・ギャラガー氏(写真:ロイター/アフロ)ポッティンジャーらの論文は過激だ。「中国こそが冷戦を仕掛け国際情勢を混乱させる要因になっている。西側を分裂させ反民主的秩序を作ろうとしている」「米国は同盟国と結束し影響力が低下するまで中国に圧力をかけるべきだ」とバイデン政権の対中弱腰政策を攻撃した。
この論文は「中国共産党の崩壊を目指すつもりか」と米国国内でも物議をかもした。そしてオバマ、バイデン両民主党政権に近い中国問題専門家4人が同誌7月、8月号で反論論文を発表し「ポッティンジャーらの主張は危険だ。戦争に発展する」と異口同音に警鐘を鳴らした。4人による3つの反論論文だ。
まずバイデン政権の前米国家安全保障会議副部長ラッシュ・ドッシだ。ドッシは論文で「中国の体制転換は彼ら自身が選択することであり米国とは関係ない」「競争を管理し衝突を避ける努力をすべきだ」と訴えた。
次にバイデン政権で国務省顧問を務めたジェシカ・チェン・ワイスとオバマ政権で国務副長官だったジェームズ・スタインバーグの共同執筆論文だ。「核攻撃能力を持つ超大国が戦わずして屈するというのは幻想だ」と一喝した。「圧力をかけて変革を迫れば逆に中国の権威主義を強化させる」「気候変動など協力できる分野はあるのだ」とワイスらは主張した。
そして共和党のブッシュ政権から民主党のオバマ政権にかけて国家情報長官室で東アジアを担当したポール・ヒアの論文だ。ヒアは一番融和的だ。「ポッティンジャーらは中国の対外戦略を誤解している。米中は平和共存しパートナーになる可能性すらある」。この同じ7月、8月号にはポッティンジャーらによる再反論も掲載された。この流れを受け8月1日の同誌ネット版に王緝思らの論文が出た。
対中戦略をめぐる論争(フォーリン・アフェアーズ誌上)実は中国国内ではポッティンジャーとギャラガーの論文以降、ドッシ、ワイスとスタインバーグ、ヒア。一連のフォーリン・アフェアーズ論文が様々な個人ブログ上で中国語に翻訳されネットで拡散した。
ポッティンジャーらに対しては「共産党体制をつぶす派だ」と猛反発があがった。中国は反論すべきだという国内の声に押されたこのタイミングで王緝思らが論文を発表したのだ。
この王緝思らの論文は言論統制があるにもかかわらず北京大学のホームページにも掲載された。中国語版論文も同時に発表され異例なことに課金なしで国内の誰もが読むことができる。中国の指導部の許可がなければできないことだ。論文は王緝思を通じ中国が米国側に発信したメッセージであることは明らかだ。
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■3派にあだ名をつけた中国式モノサシ■3派にあだ名をつけた中国式モノサシ
王緝思は中国式モノサシで各論文執筆者に“あだ名”をつけた。タカ派のポッティンジャーとギャラガーを「新冷戦闘士」と名付けた。現バイデン政権に近く中国との競争と協力とのバランスをとるドッシは「競争管理者」だ。中国との協力を模索するワイスとスタインバーグは「和解派」だ。
まず王緝思が警戒したのは当然「新冷戦闘士」だ。「ポッティンジャーとギャラガーは米中が新しい冷戦に突入していると主張し、中国に勝利するためさらに強硬な戦略をとることに力を注いでいる」と批判した。
王緝思は「競争管理者」について「彼らは米国が競争をリードすべきだが同時に中国との協力が不可欠だと考えている」と称賛した。論文執筆者のラッシュ・ドッシとともにバイデン大統領の補佐官ジェイク・サリバンの名を挙げた。バイデンと習近平の最後の首脳会談をまさに調整していたからだろう。この8月29日にサリバンは訪中し習近平と会見した。この3年間サリバンが中国の要人と対面するとその後に続いて必ず米中首脳会談が開かれてきた。
ジェイク・サリバン氏(写真:ロイター/アフロ) 習近平国家主席とサリバン(2024 年 8 月)(中国外務省HP)そして「中国との和解派」、ワイスとスタインバーグの共同論文を紹介した。王緝思は「和解派は中国との衝突を懸念し冷戦は危険なものだと反対している」と評価した。ただし手放しで「和解派」を受け入れているわけではない。「中国の政治制度や影響力拡大に不満を持つことでは「和解派」も他派と同じだ」。
「和解派」よりさらに中国に接近しているのがポール・ヒアの論文だ。ヒアは一番の対中融和派であるにもかかわらず王緝思は一切言及せず無視した。
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■「毛沢東はタカ派に期待していた」■「毛沢東はタカ派に期待していた」
王緝思が強調したのはトランプとハリスいずれになろうと次期政権に対する楽観を戒めたことだ。王緝思は「米国では中国を『最重要の戦略的競争相手』と位置付け、封じ込めることで超党派のコンセンサスができている」。そして「協力が当たり前だった21世紀初頭に戻るのはもはや難しい。予測可能な未来に和解は実現しないだろう」と言い切った。
トランプ前大統領王緝思はトランプ政権時代を振り返る。貿易制裁、半導体規制、台湾や南シナ海、さらにはコロナ発生の責任追及から中国領事館の閉鎖まで乱発状態だった。「競争し、対抗するため中国に攻撃的で一貫性のない牽制を使った」。しかし「トランプ新政権の関心は駆け引きだと見た」と指摘し、「例えば米国が台湾の挑発的行動を抑え込むかわりに貿易面で中国に譲歩を迫る可能性もある」と王緝思はいうのだ。
一方で王緝思はバイデン政権後継のハリスに対する油断を戒めた。「バイデンの対中牽制策はトランプとの明確な連続性が見られる上、より体系的でアジア太平洋地域で多国間の協力を集め中国を包囲した」。確かにバイデンに代わると、けんかの後に首脳会談をはさむなど対話と圧力に規則性を持たせ「競争を管理」した。「ハリスの意思決定スタイルも予測可能なものにはなるかもしれない」。しかし釘を刺した。「ハリスは戦略的競争を強め対中包囲をいっそう強化するだろう」と。
ハリス副大統領王緝思は毛沢東の話を例に出した。「毛沢東主席は1972年に電撃訪中した当時の共和党のニクソン大統領に『自分は西側政権のタカ派が好きだ』と述べた」という。この言葉の意味について「ニクソンら歴代のタカ派指導者らは経済的利益と安全保障重視の観点からドライに中国と向き合った。一方、東側に融和的だと思われた民主党政権は絶えず民主主義重視を要求し続けてきたことを批判した」と王緝思は解説したのだ。
ただし王緝思は踏みとどまった。「米国の対中政策は国内世論を見ながら決める。次期大統領も異なる3派の提言から良いとこ取りをして採用するだろう」「3派のうちどの対中政策が主流になるかを中国は注視している」と明言したのだ。
米国の国力が衰退し中国と肩を並べるようになったことで米中双方から自然発生的に冷戦的思考が生まれている。中国は米国との関係が悪化しているときには日本に接近する。それと同時に日本の政治が不安定な時には中国に引き寄せようとさまざまな揺さぶりをかけるだろう。
日本人は政治体制の異なる中国に対して「親しみがわかない。しかし重要な国だ」という二律背反的な印象を持っている。日本は双方の間にいることの意味を、感情を排除して見極める必要があるといえよう。
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