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起きてはならないことが起こってしまった。
9月18日、中国南部・広東省深セン市の日本人学校付近で、母親と登校していた10歳の男子児童が44歳の男に刺され、治療の甲斐もなく、翌日未明に死亡が確認された。

6月には蘇州で、日本人学校のバスを待っていた親子が襲われたばかりで、中国の日本人社会は大きな衝撃を受けた。子どもを持つ親からは、外出が怖いという声が聞かれ、話題にすることがはばかられるくらいの重い空気が広がった。

日系企業の中には、会社の費用で家族の一時帰国を認めるところも出てきている。

事件について、中国当局は「個別の事案だ」と強調しているが、犯人の動機は一切公表されていない。また、事件前から反日的な動画がSNSなどで拡散されていたこともあり、現地に住む日本人の不安は全く払しょくされていない。

中国便り26号
ANN中国総局長 冨坂範明  2024年9月

■ネットにあふれる「反日動画」 

事件が起きた9月18日は、満州事変のきっかけとなる「柳条湖事件」が起きた日だ。日本による中国侵略が始まった日として、中国では「国恥の日」とも呼ばれている。反日のムードが高まりやすい日だが、今回の事件がその日を狙った「反日感情」によるものかどうかはまだわからない。

しかし、中国在住の日本人の間では、以前からヘイト動画による反日感情の高まりが、強く懸念されていた。

深センの事件前から話題となっていたのは、中国の迷惑系インフルエンサーの男性が、北京市内の観光名所・円明園で日本人駐在員とみられる男女とトラブルを起こす動画である。日本人を案内していた中国人ガイドに、場所を譲るように言われた男性が難癖をつけ、「日本人に場所を譲るつもりはない」と、大声で怒鳴り続ける内容だ。最終的に、公園のスタッフが出てくるのだが、驚くべきことに、公園スタッフまでも日本人を「鬼子」(グイズ)と呼び、男性に賛同してしまう。因みに中国語の「鬼」は日本語とニュアンスが違い、蔑称だ。この動画は9月上旬に投稿され、大量に拡散された。

円明園で撮られた「反日動画」(中国のSNSより) この記事の写真は4枚

円明園は19世紀半ばに当時の清国が、イギリスやフランスと戦った際に破壊された「被害の地」で、愛国心が発露されやすい場所ではある。とはいえ、正規に入場している日本人が罵られる理由は全くない。周りの日本人で、この動画にショックを受けた人も多く、私は中国外務省に動画に対する見解を質問した。しかし、回答は期待とは程遠いものだった。

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■あいまいな「愛国」と「反日」の境目

■あいまいな「愛国」と「反日」の境目

「個別の言動は評論しない」と報道官

中国外務省の報道官の回答は「具体的な状況を把握していないし、個別の言動について論評しない」というものだった。そして一般論として、「中国は開放的で包容的な国家であり、特定の国について差別的な言動を行うことはない」と付け加えた。実際に、問題の動画が存在し、中国にいる多くの日本人が不安に思っているにもかかわらず、である。

私としては「中国はいかなる差別動画も許さない」といった答えを期待していたが、肩透かしをくらった格好だ。

結局、中国国内からも批判の声が上がり、当の迷惑系インフルエンサーは問題の動画を削除した。しかし、拡散された先では今でも動画を見ることができ、あるアカウントでは30万回以上再生されている。

また、中国外務省は、いわゆる「日本に対する恨みを煽るような反日教育」についても、「存在しない」と強調している。もちろん、公に日本を恨むよう教えることはないだろう。しかし、歪んだ「愛国教育」で、日本の軍国主義による侵略の歴史を長時間教え込まれた人たちが、現代の日本や日本人に対しても、偏見や恨みを持つ危険はないだろうか。私は、動画の円明園の公園スタッフの態度を見て、「愛国」と「反日」の境が非常に微妙ではないかと感じた。

「愛国」だから、「反日的な言動が許される」と考えている人が一定数いるのではないか。これこそが、中国に住む日本人が感じている不安の、根本的な部分ではないだろうか。

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■知り合いの中国人にも衝撃 負のスパイラルを生まないために

■知り合いの中国人にも衝撃 負のスパイラルを生まないために

もちろん、14億人の中国人を、簡単にひとくくりにすることはできない。今回の事件を知り得た、私の知り合いの中国人も一様に、大きなショックを受けている。

私に対して、「子供には何の罪もないのに、本当に申し訳ないことをした」「もっとしっかり報じなければならないのに、何も伝えないのはおかしい」などと、話してくれる人も大勢いた。

また今回、被害にあった男の子の母親は中国人である。蘇州の事件の際に亡くなった方も、日本人親子を守ろうとした中国人の女性だった。もし、これらの事件の背景に「反日感情」があったとしたならば、皮肉にも、日本人のみならず、多くの中国人をも傷つける結果となってしまっている。

外相会談でも中国は「個別案件」を強調した

深センの事件から5日後の9月23日、ニューヨークで上川陽子・前外務大臣と中国の王毅外相が会談した。中国側の発表では「中国にいる外国人の安全を守る」と強調しながらも、あくまで事件は個別案件で、「日本側は冷静に、理性的に見るべきで、政治化や拡大化を防ぐべきだ」とくぎを刺す表現となっている。まだ動機も解明されていない中で、幕引きを図りたい姿勢がありありと見えるようだ。その一方で、命を落とした男児に対するお悔やみの表現は、発表文には見当たらなかった。

■「どこの国でも…」で片づけず 根本的な対応を

「同様の事案は世界のどこの国でも起こりえる」
男の子が亡くなった日の会見で、中国外務省は簡単に結論付けた。中国外務省は蘇州の事件の後も、ほとんど同じ文言を会見で用いていた。しかし、日本人の小学生が数カ月で2度も襲われる国が、ほかにあるだろうか?

今回の事件を受け、動画投稿アプリ大手の「快手(クワイショウ)」は、日中の対立をあおるようなアカウントを処分すると発表した。ただ、同様の措置は蘇州の事件の後にもIT大手の「騰訊(テンセント)」などが実施を発表したが、反日をあおる動画は残っていた。やはり、一部の人々に根強く残る反日意識を変えることが、最も大切なことだろう。

いわゆる“反日動画”を取り締まるという快手(クワイショウ)の通知(快手の SNSより)

10歳の男の子は、どうして犠牲にならなくてはいけなかったのか?まずは蘇州の事件も含めた、動機の解明が必要だろう。その上で、互いを悪く思い始める「負のスパイラル」を加速させないためにも、中国当局には、ぜひこのタイミングで「愛国と反日は違う」ときちんと強調し、中国にいる日本人の根本的な不安を払しょくしてほしい。それこそが、日中関係の改善にとって、必要不可欠なことだと、強く感じている。

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