バングラデシュのハシナ首相は5日、首相辞任を求める学生らによるデモの激化を受けて辞任した。地元メディアによると、市民数千人が首都ダッカの首相公邸を占拠し、ハシナ氏は軍用ヘリコプターで隣国インドへ脱出した。陸軍のザマン参謀総長は同日、国民向けの演説で、暫定政権の発足に向けて「全ての政党」と協議すると発表した。
「政府は多数の学生や市民を殺した。最後通告を突き付けるときが来た」。地元メディアによると、学生団体のとりまとめ役は、5日にダッカに集結するように呼びかけた。市内中心部を数千人が埋め尽くし、ラーマン初代大統領の像に登る人々の姿も報じられた。ラーマン氏はハシナ氏の父で、1971年の独立闘争を率いた「建国の父」としてたたえられてきた。
地元メディアが公開した映像には、首相公邸にも群衆が押し寄せ、テレビや椅子、テーブルなどを運び出す様子が映っていた。
AFP通信によると、バングラで学生らの抗議活動が激化した7月以降、衝突による死者は300人を超えた。8月4日にはダッカなど各地で与党議員の自宅や警察署が襲撃され、警察官13人も死亡した。ハシナ氏は「暴力を振るっているのは学生ではなく、テロリストだ」と非難し、全土に無期限の外出禁止令を発令したが、事態を収束させることはできなかった。
発端となったのは、公務員採用を巡る優遇措置だった。バングラは独立戦争を戦った兵士の家族に公務員採用枠の3割を割り当ててきたが、2018年に市民の抗議を受けて廃止。しかし、高裁は今年6月に復活を認めた。学生らは与党・アワミ連盟の支持者を優遇する措置だと批判。最高裁は7月下旬に優遇枠を大幅に縮小する方針を示し、政府もこれを受け入れて沈静化を図ろうとしていた。
ところが今月に入ってデモが再燃。背景にあるのが、ハシナ政権の強権的な姿勢への不満だ。政府は7月のデモに際し、軍による鎮圧に乗り出し、1万人以上を拘束。国連児童基金(ユニセフ)によると、少なくとも32人の子供がデモで死亡し、デモを取材していた記者らも殺害された。
ダッカ大のサイド・マンズールル・イスラム名誉教授は地元紙プロトム・アロに、当初は「平和的な運動だった」と指摘。しかし、「初めから学生たちは敵とみなされ、武力で抑え込まれたことで事態が悪化した。与党は学生たちの怒りと感情を理解するのに失敗した」と分析した。
かつてアジアの最貧国の一つだったバングラは近年、高い経済成長を続けている。しかし、若者の雇用不足は深刻で、地元メディアによると、就学も就職もしていない「ニート」の割合は4割近くに上る。政権の強権化が指摘され、最大野党は今年1月の総選挙をボイコットしていた。【ニューデリー川上珠実】
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