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「スタジアムで開催する方が、はるかに警備は簡単です」

セーヌ川の船上で安全保障の専門家が断言したのは、リスクをゼロにできない厳しい現実だった。いよいよ今週金曜に開幕が迫るパリオリンピック。その序幕を飾る開会式では“パリの動脈”セーヌ川6キロを舞台に、選手の入場パレードが行われる。
観客だけでなく、首脳の数までもが”過去最大級”になると見込まれるなか、なぜパリは、従来のスタジアムではなく、あえてリスクが高い“屋外”を開会式の舞台に選んだのか。取材から見えてきたのは、オリンピックという枠組みを超えた“悲願”だった。

(取材:テレビ朝日「サタデーステーション」青山ななみ・萩原誠悟)

■取材班が抱いた“違和感” 熱気と緊張が交錯する街で

サタデーステーションが向かったのは、 オリンピック一色に染まる“花の都”フランス・パリ。街のシンボルであるエッフェル塔には巨大な五輪のシンボルが設置され、至る所で、競技会場の設営が最終局面を迎えていた。

「混雑が嫌で大会期間中は“パリ脱出”を考えていたけど、やっぱり留まることにしました」

パリ市民からはこんな意見も。今月26日に開幕するオリンピックでは、32競技329種目で熱戦が繰り広げられ、世界中の視線が、この街に釘付けになる。

毎年恒例の花火も五輪仕様に この記事の写真

だが、正直、取材班がパリで感じたのは、常に監視されているような“違和感”だ。数分おきに聞こえてくるのは、緊急走行するパトカーのけたたましいサイレン。どこを歩いても、銃を抱えた人々とすれ違う。最初は警察官だけかと思ったが、身にまとう制服は様々だ。

調べてみると、国家憲兵隊やフランス軍の兵士までもが巡回にあたっていることが分かった。さらに大会期間中は、約40カ国から集めた治安部隊や民間警備員も加わり、8万人態勢で警戒にあたるという。すでに緊迫した空気のなか、18日には、シャンゼリゼ通りで男が警察官の首を刃物で切り付ける事件が発生。その後、男は射殺された。

事件発生直後、街には緊張が走った

世界から注目を集めるオリンピックは、これまでも度々、テロリストたちの格好の標的にされてきた。今大会をめぐっても、今年5月、サッカーの試合を狙ったテロを計画した疑いでチェチェン出身の18歳の男が逮捕されている。テロの脅威におびやかされる“平和の祭典”だが、その序幕を飾るのは、セーヌ川6キロという広大な「屋外エリア」を使った選手入場の水上パレードだ。

■ハイリスクな「屋外開会式」 テロリスクを独自検証

「スタジアムのように出入口が限られた場所で開催する方が、はるかに警備は簡単です。ゼロリスクには出来ません。フランス史上最大のテロ対策になるでしょう」

こう指摘するのは、マクロン大統領を輩出したパリ政治学院で安全保障を教えるギヨーム・ファルド教授だ。

パリ政治学院 ファルド教授

かつてない規模の警備を余儀なくされる入場パレードとは、いったいどんなものなのか。

従来の開会式では、式典に参加する選手たちは、行進してスタジアムに入場していた。だが今回は、この入場行進の舞台そのものが「セーヌ川」に移され、総勢1万人以上の選手が、94艇の船に乗り、セーヌ川6キロをパレードするという。5年前の火災を乗り越え、再公開を間近に控える「ノートルダム大聖堂」や世界三大美術館の1つ「ルーブル美術館」、さらに、実際の競技会場にもなる「コンコルド広場」や「グラン・パレ」など、まさしく“パリの心臓部”を船で巡りながら、エッフェル塔前の式典会場「トロカデロ庭園」を目指していく。音楽やダンスがあらゆる橋や川岸を彩り、パリそのものが選手たちを歓迎する様子は、まさに大会コンセプトの「Games Wide Open(広く開かれた大会)」を体現している。

入場パレードのコース

これほどまでに広大な屋外エリアを使う開会式は五輪史上初の試みだが、それだけに警備のハードルも高くなる。実際にコースを歩けば、1時間半近くかかるような長距離だ。これだけ広大なエリアを果たして守れるのか、不安を覚えた。

そこで番組では、本番と同じコースを船で走り、入場パレードに潜むリスクを独自に検証。ファルド教授にも乗船してもらい、“前代未聞の警備戦略”を解説してもらった。

前代未聞の警備戦略とは

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■リスク1「川沿いに密集する建物」取材班を見下ろす何万の窓

■リスク1「川沿いに密集する建物」取材班を見下ろす何万の窓

スタート地点のオステルリッツ橋を出発して間もなく、取材班の目に飛び込んできたのは「川沿いに密集する建物」だ。船との距離が50mもないなか、あっという間に、取材班の乗る船は、どれも7階以上はありそうな建物に包囲されてしまった。

船上から見える建物

アパートやホテル、オフィスが多く、どの建物にも、セーヌ川を見下ろせる「窓」が隙間なく取り付けられている。取材後に動画を分析してみると、たった1棟で80以上の窓がある建物もあった。程度の差こそあれ、このように建物が密集するエリアは約1キロ以上にわたって続いており、何千、何万という窓が船を見下ろせてしまうことになる。こうした建物がテロリストに使われる懸念はないのだろうか?

テロ対策に詳しいパリ政治学院 ファルド教授
「すべての建物の窓はスナイパーによって監視されます。セーヌ川沿いには身分証明書なしには立ち入ることができず、車の走行は禁止され、多くの橋や地下鉄が閉鎖されることになります」

川に面した建物などに危険人物が近づけないよう講じられるのが、セーヌ川沿い約10キロに及ぶ“ロックダウン”だ。封鎖は開会式当日までの9日間つづき、区域内に暮らす住民およそ2万人も影響を受ける。事前に取得した通行証を提示し、ボディチェックを受けなければ出入りできない。

パリ政治学院 ファルド教授
「移動制限が厳しくパリを離れた住民もいますが、安全確保のために必要な措置なのです」 住民も通行証の取得が求められる

■リスク2 「前代未聞の観客数」 過去最多の32万超

船はセーヌ川を西へ。川沿いに密集する建物から逃れたと思いきや、次なる懸念に直面する。今度は、川沿いを埋め尽くす観客席だ。両岸だけでなく、橋の上にまで設置され、まるでセーヌ川沿いの空所を、余すことなく観客席で埋め尽くそうとしているようにも見える。

観客席の設置工事も大詰めを迎えていた

実は、今回用意された開会式のチケットは、オリンピック史上類を見ない32万6000人分。リオデジャネイロ大会(2016)の開会式に詰めかけた観客の4倍以上に相当する「前代未聞の観客数」だ。

パリ政治学院 ファルド教授
「最も懸念されるのはナイフのように誰でも入手できる凶器を用いた『個人による犯行』です」

ファルド教授が指摘するのは、特定の組織に所属せず、テロを計画・実行する個人、いわゆる『ローンオフェンダー』による犯行だ。現に、フランスでは近年、過激なイスラム思想に影響されたとみられる個人型のテロが後を絶たない。

そんななか、フランス政府の調査によると、今大会にスタッフとして参加を希望した人の中に800人の過激なイスラム主義者などが紛れていたことも判明している。32万人以上の観客を監視するため、約8万人の警備態勢に加え、不審な物や行動を検知できる数千台のAI搭載の監視カメラが活用される。

■リスク3 「約120人の首脳」 先日にはトランプ氏銃撃事件が

いよいよ、6キロに及ぶ入場パレードは終盤へ。ゴールのエッフェル塔が目の前に迫るなか、最大の懸念に直面する。ファルド教授が示したのは、エッフェル塔前にある式典会場「トロカデロ庭園」だった。

式典会場「トロカデロ庭園」 パリ政治学院 ファルド教授
「あそこが特別席です。首脳たちはあの場所で開会式を見ます」

最大の懸念が、屋外の式典会場に集結する「およそ120人の首脳」だ。つい先日もトランプ前大統領を狙った銃撃事件が発生したばかりだが、要人を狙った攻撃は今年に入っても、世界各地で相次いでいる。

約120人の首脳を守るため、地上のみならず、空からの攻撃をも想定しているという。開会式当日は半径150キロの空域で、5時間以上にわたり飛行が禁止され、国内3つの国際空港も閉鎖される。飛来物の警戒にあたるのは、わずか1機でフランス国土の半分以上を監視できることから“神の視点”と称される軍用機『AWACS』だ。

パリ政治学院 ファルド教授
「飛行禁止にすればアメリカの同時多発テロのような可能性を無くせます。史上初の対策です」

さらに、空や地上のみならず、当日は水中警備も実施。警察によって、セーヌ川に繋がる下水道まで調査されてきた。一見、“鉄壁”とも感じる警備戦略だが、ファルド教授は「100%の安全はない」と断言する。

パリ政治学院 ファルド教授
「フォーク1本でも人を殺められます。誰もゼロリスクを保証できません。スタジアムで開催する方がはるかに簡単なのに、この国は偉大な成功を遂げるためにリスクを選んだ。テロリストたちに対し『私たちは恐れていない』というメッセージを示そうとしているのだと思います」

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■「傷痕があっても微笑むことは出来る」 テロ遺族の願い

■「傷痕があっても微笑むことは出来る」 テロ遺族の願い

実は、パリがオリンピックの開催地に立候補してから、わずか5か月後に起きたのが、フランス史上最悪のテロ事件「パリ同時多発テロ事件」だ。

2015年11月13日、スタジアムやカフェ、レストランなど、パリ市内の至るところで、過激派組織「イスラム国」の戦闘員が爆弾や銃を用いた攻撃を行い、130人もの命が無差別に奪われた。今回の聖火リレーで、立ち寄り先のひとつに選ばれた「バタクラン劇場」では、コンサート中に銃が乱射され、死者90人という犠牲者を出した。

事件から数日後のパリ市内

材班が訪ねたのは、標的の1つになったレストラン「ラ・ベル・エキップ」。テロの影など感じさせないような、満面の笑みで歓迎してくれたオーナーのグレゴリーさんだが、あの夜、妻・ジャミラさんが腕のなかで亡くなった。

テロで妻を失ったグレゴリーさん
「テロリストたちは私たちの社会をバラバラにしたかったのでしょうが、この国にはその手は通用しません。私たちには怒りや憎しみに勝る愛がある。危険があっても、恐怖に凍りついている場合ではないのです。恐怖を乗り越える最良の方法は、前を向いて進むこと。傷跡があっても微笑むことはできます」 「ラ・ベル・エキップ」グレゴリーさん

パリ同時多発テロ事件から約9年。まもなく開幕するオリンピックに、グレゴリーさんは願いを込める。

テロで妻を失ったグレゴリーさん
「パリほど美しい街はありません。多くの人に来てもらいたい。準備は整っています」 この記事の写真を見る
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