新紙幣が3日、発行された。1万円札の肖像は実業家の渋沢栄一で、裏面には東京駅の丸の内駅舎が描かれている。この新1万円札の「表」と「裏」をつなぐ人物が、佐賀県唐津市出身なのだという。
その人は日本人初の建築家の一人、辰野金吾(1854~1919年)。辰野の顕彰活動などをするNPO法人「唐津赤レンガの会」(同市)会長、田中勝さん(75)が教えてくれた。
辰野は東京駅(国重要文化財)を設計したことで知られるが、田中さんによると東京にあった渋沢の邸宅(現存せず)も手がけており「表と裏をつなぐ」というわけだ。
辰野は今の唐津市で生まれ、唐津藩洋学校(耐恒寮)で学んで上京。工学寮(今の東大工学部)に入り英国人、ジョサイア・コンドルに師事して建築家となった。
田中さんは「2024年は辰野の生誕170年、東京駅の完成から110年、新紙幣発行、そして辰(たつ)年と、辰野に関係する重要な年なのです」と話す。
東京駅は07年から約5年かけて修復され、丸の内駅舎の八角形ドームの柱に、開業当時の八つの干支(えと)のレリーフも復元された。
東京駅と同時期に辰野が手がけた同県武雄市の武雄温泉新館及び楼門(国重要文化財)の楼門2階天井には、東京駅にはない「子(ね)」「卯(う)」「午(うま)」「酉(とり)」の四つの干支の彫り絵がある。記録はなく理由は不明だが「辰野の遊び心か」などと推察されている。
3日は唐津市役所で同会事務局のデザイナー、山上明善さんの線画に市立大志小の児童81人が彩色した東京駅の絵がお披露目された。同小6年の池田唯乃(ゆの)さん(11)は「こんなすごい人がいたなんて」と話し「色が並ばないように気をつけた。皆に見てほしい」と笑顔を見せた。
辰野は日本銀行本店本館(国重要文化財)も設計。また、日本のお金の単位は「円」だが、これを定めた1871年の「新貨条例」制定には、佐賀市出身の大隈重信(1838~1922年)が主導的な役割を果たすなど、佐賀とは縁が深い。
日銀佐賀事務所の西崎淳一所長は「約20年ぶりの改札。偽造防止のための最先端技術や、文字が大きくなるなどユニバーサルデザインも採用されている。手元に届くのを楽しみにしていてほしい。また、古いお札も引き続き使えるので、偽情報や詐欺行為には十分注意してほしい」と話している。【西脇真一】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。