熊本城の公式アカウント=Xより

 2016年4月14、16日の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の公式X(ツイッター)が、日々の復興や周辺のにぎわいを発信し続けている。城自体が話しているかのようなユニークなつぶやきで、「映える」姿を連日紹介。城の公式アカウントとしては異例のフォロワー数を獲得している。地震から8年となり、つぶやきを担当する「中の人」は何を思うのか。

 アカウントは21年2月に運用を始めた。当初はイベント情報などを伝えるごく普通の内容で、一定の人気は得たものの、際立つ存在ではなかった。転機が訪れたのは22年秋。この頃放送されたテレビ番組「最強の城総選挙」で熊本城が1位になり、モデルチェンジが図られた。

 「どうも、最強の城です。(つぶやき始めます)」

 「金曜日、ぶち上がりますね。みんなでぶち上がっていきましょう」

城が自我を持ったかのような語り口が人気の熊本城公式アカウント=Xより

 「こんな寒い中、布団から出られただけでえらい」

 城が自我を持ったようなつぶやきが連日投稿されると、「城がしゃべった」「(城に)褒められちゃった」とユーザーが反応。当時1万のフォロワー数が急増した。

 現在も6万超のフォロワーに支えられ、連日ユニークな投稿を続けている。名古屋城や大阪城、姫路城など全国の名城で公式アカウントが開設されているが、フォロワーはおおむね数千。熊本城はSNS(会員制交流サイト)でも「最強」クラスの存在になっている。

 もちろん、城自体が話しているわけではなく、つぶやきを考える「中の人」が実在する。現在の中の人は熊本城総合事務所内の「配置転換」に伴って23年4月に就任した2代目だ。はたして「中の人」はどんな気持ちでつぶやいているのだろうか。

 思いを尋ねると、「中の人」は「『初代』への反響が大きく、当初は大変プレッシャーに感じた」と打ち明けた。人を引きつけるため、できるだけ短文にして読みやすくしたり、若い世代にも親しんでもらえる内容にしたりと苦労も多いようだ。

 特に頭をひねるのは「幅広い世代でも分かるような時事ネタ」を探すことなのだそう。その苦労の跡を追ってみた。

 「まだ6月なのに熊本城はとっっっても暑いのなぁぜなぁぜ?」(23年6月23日)

 「夏ですね。熊本城は、皆さんの夏あるあるが聞きたいのです」(8月17日)

 「もしもドラフト会議があったら、、、第一巡選択希望城郭は、もちろん熊本城です」(10月27日)

 「最強の城熊本城です。『君たちはどう攻めるか』」(24年1月25日)

 トレンドワードやお笑い芸人のネタ、スポーツ、有名映画……。時宜にかなったあらゆるジャンルを駆使してつぶやいていることが分かる。1日の始まりには「おはようございます」とあいさつし、それに応えるユーザーも多い。日々の暮らしに溶け込んでいることが人気の秘密のようだ。

熊本城天守閣が望める広場で市民とふれあう熊本市のイメージキャラクターひごまる=熊本市で2017年1月1日午前8時51分、和田大典撮影

 担当者は「熊本城をもっと身近に感じてもらいたい。城と熊本、そして『ひごまる』くんのことも大好きになってほしい」と話す。ちなみに「ひごまる」は熊本城築城400年を記念し、07年に誕生した城の妖精(ご当地キャラ)である。

 一方、熊本城と切っても切り離せないのが熊本地震での被害だ。地震で自慢の美しい石垣が崩れたり、天守閣の瓦が落ちたりした。アカウントでは明るく、前向きな言葉で復興を伝え続けてきた。

 「今後も普段見れない復旧現場の様子を皆さんにお届けしていこうと思います。それにしても、職人さんの仕事は見てて感動しますね」(22年11月28日)

 「さぁ、みなさまご注目。石垣の修理体験のお知らせです」(23年3月16日)

 「今日で熊本地震から7年。当時の記憶や感情は、今でもはっきりと残っています。でも、忘れたいとは思いません。むしろ絶対に忘れたくありません」(23年4月14日)

 こうしたつぶやきに、ユーザーからは「復旧作業の現場もアップしてくださると、我々もさらに応援したくなってきます」「風化させず、これからも向き合っていきたい」などの反応がある。城だけではなく、熊本地震そのものへの関心にもつながっている。

 担当者が2代目になってからもその明るさ、前向きさは変わらない。「熊本のシンボルである熊本城が明るい言葉をつぶやくことで、復興に向かう熊本全体を活気づけたい」との思いからだ。

 最近は「第三の天守」と呼ばれる宇土櫓(やぐら)の復旧の様子を写真付きで数多く紹介する。つぶやきに対し「早く美しい姿が見たい」「宇土櫓(を)じっくり見たい」といった声が寄せられることもある。担当者は「熊本城のつぶやきを見た人に少しでも前向きになってほしい。これからも熊本城の魅力や、復興状況を多くの人に届けられるように頑張りたい」と意気込む。

 地震から8年を迎えた14日。「最強の城」は「8年が経過しても震災の記憶は忘れられません。熊本城の完全復旧まであと28年かかります。しかし、着実に復旧は進んでいます。まだまだ時間はかかりますが、皆様と共に復旧に向けて一歩一歩進み続けます」とつぶやいた。【中里顕】

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熊本市のシンボルとなっている熊本城=熊本市中央区で2024年4月9日午前10時38分、中村敦茂撮影

 熊本城は地震で、長塀や飯田丸五階櫓(やぐら)など国重要文化財13カ所すべてが損壊した。さらに天守閣など復元建造物も瓦が落ちたり、倒壊したりする被害が20カ所で出た。国の特別史跡の石垣は、全体の3割に当たる2万3600平方メートルで崩落や緩みが生じ、城全体の被害額は634億円に上った。

 市は「復興のシンボル」として天守閣の復旧を急ぎ、21年3月に完了させた。城の復旧作業を間近で見られる空中回廊「特別見学通路」(高さ約6メートル、全長約350メートル)を20年に開設した効果もあり、来場者数も徐々に回復。23年度の有料エリア来場者数は、地震前(15年度、177万5000人)の約8割に当たる135万3000人に回復している。

 一方、城全体の復旧の進捗(しんちょく)率はまだ約2割(22年3月現在)にとどまる。石垣の復旧に時間がかかることもあり、復旧完了は52年度になる見通しだ。

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