市民の戦争体験を後世に語り継ぎ、平和の尊さを考える機会にする「平和を語るつどい・憲法記念平和映画祭」が11日、高松市の複合文化施設「たかまつミライエ」で開かれた。同市の主催で約100人が参加。語り部の空襲体験などに耳を傾け、戦争の悲惨さを改めて確かめ合った。
第1部では、元大阪市議で大阪市の市民団体「大阪平和委員会」の理事長、近藤正さん(84)が登壇し、5歳で経験した高松空襲の記憶を語った。市民1359人が亡くなった同空襲では、1945年7月4日未明、米軍の爆撃機B29が高松市上空に116機飛来。近藤さんは、年の離れた姉に手を引かれて火の海となった高松の街を逃げ惑った。投下された計809トンに上る焼夷(しょうい)弾の威力はすさまじく、「『ドカン、ドカン』という爆音と地響きがとどろいていた」などと当時を振り返った。近藤さんは、80年近く経た今も、ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区では戦火がやまず女性や子どもが犠牲になっていることに触れ、「戦争は一度始めたらなかなか止められない。戦争を回避するための話し合いが重要だ」と訴えた。
第2部では、被爆2世で臨床心理士の美甘(みかも)章子さん(62)が、広島で爆心地から1・2キロの至近距離で被爆した父の体験を基にしたドキュメンタリー映画「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」(51分)を上映。参加者らは凄絶(せいぜつ)な証言録に聴き入っていた。
母親と参加した高松市立太田南小5年の溝渕朱音さん(10)は「高松の空襲について詳しく知らなかったので、とても勉強になった。世界から戦争が無くなってほしい」と話した。【川原聖史】
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