天皇陛下は1日、即位から5年を迎えられた。202年ぶりの退位による天皇の代替わりは明るい雰囲気の中で迎えたが、その後、新型コロナウイルスの感染拡大に直面。活動を大幅に縮小しながらも、オンラインでの懇談を取り入れるなどして人々との交流を保ち続けた。国民とともに困難を乗り越えようと歩んだ5年間を振り返る。
即位から1カ月後の2019年6月1日。令和初の地方訪問で、天皇陛下は皇后雅子さまとともに全国植樹祭が開催された愛知県に足を運んだ。名古屋市からあま市にある伝統工芸「尾張七宝」の展示施設に車で向かう途中、驚くような光景が広がった。
高速道路のインターチェンジを降りて施設までの約2キロ。道路両側の歩道をびっしりと埋めたのは、訪問を歓迎する人々だった。天皇、皇后両陛下は車の窓を開け、ずっと手を振り続けた。当時の宮内庁幹部は「この時ほどの人波と、歓迎ぶりは後にも先にも経験したことがない」と振り返る。県によると、滞在した2日間、沿道などに約7万4000人が集まった。
天皇陛下は20年2月の誕生日に合わせた記者会見で、即位からの約10カ月間で印象に残ったことの一つとして「都内や地方での諸行事や諸儀式の際などに、多くの方々から、温かい祝福の声を寄せていただいたことが挙げられます」と述べ、「お一人お一人の声に支えられて今日を迎えることができていると感じております」と感謝した。
こうした中、国民との交流を困難にしたのがコロナ禍だった。この年の誕生日の一般参賀は中止となり、出席が予定されていた多くの行事も中止や延期となった。両陛下は国民への影響を案じ、医療関係者や経済団体の代表、生活困窮者支援のNPO理事長などを相次いで招き、状況や取り組みを聞いた。
11月に初めてオンラインを利用して視察を行った。当時の住まいだった赤坂御所と全国4カ所の日本赤十字社の病院をオンラインで結び、新型コロナ患者に対応する医師や看護師と面談した。陛下は「みなさんのご活動に敬意を表します」などとねぎらった。
21年以降、各地で規模を縮小しながら地方行事が再開したが、オンラインでの出席を続けた。宮内庁幹部は「現地に足を運ぶと、どうしても多くの人が集まり、その方々の感染リスクが高まることを懸念した」と明かす。一般参賀や園遊会も中止が続き、活動が国民に伝わる機会は少ないままだった。
新年一般参賀が中止された21年の元日、陛下は初めて国民に向けたビデオメッセージを公表し、こう語りかけた。
「この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています。即位以来、私たちは、皆さんと広く接することを願ってきました。新型コロナウイルス感染症が収まり、再び皆さんと直接お会いできる日を心待ちにしています」
コロナ禍は少しずつ落ち着き、20年1月を最後に途絶えていた地方訪問は22年10月に再開。23年は国民体育大会など恒例となっている四つの地方行事に実際に出席し、6月には初の国賓としてインドネシアにも赴いた。
今年3月と4月には、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の奥能登地域の4市町を見舞った。避難所で腰を落として被災者の話に耳を傾け、大きな被害のあった場所では黙礼して犠牲者を悼んだ。
自然災害の被災地への訪問は上皇ご夫妻が長年続けてきた。陛下も皇太子時代に発生した1995年の阪神大震災以来、皇后雅子さまとともに被災地に何度も足を運び続けている。被災者に寄り添い続ける姿勢は、令和の皇室でも変わらない。
国内外で国際親善が本格化しており、来年は戦後80年の節目を迎える。平成の時代に形作られた象徴天皇の在り方を発展させる旅が続いていく。【高島博之】
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