虐待の通報を受けて家庭訪問しても、保護者が扉を開けず、電話もつながらない――。児童相談所に代わり市区町村の職員が初期対応する虐待事案が増えているが、保護者が面会を拒むなど対処に苦慮する例が後を絶たない。現場で模索が続く中、福岡県は、保護者に寄り添い、虐待を防いだ職員の「成功体験」を集め、初の事例集にまとめた。各自治体でノウハウを共有するのが狙いで、全国でも珍しい取り組みだという。
「2歳の娘がかわいいと思えない。死ねばいいのに」。福岡県内のある市に住むシングルマザーの女性は、保育所からの虐待通報を受けて家庭訪問した市職員の前で、そう吐露した。自らも親から虐待を受けた過去があり、「子育ての『普通』が分からない」と言う。その後も女性は保育所との間でトラブルを抱え、市職員が子どもの安否確認に手間取る時期も度々あった。
担当職員は女性の話を聞く中で「子育てをしないのではなく、方法を知らない」だけだと気付き、意識を切り替えた。母子関係が悪化しそうな兆しがあれば、児相と連携して娘を一時保護するとともに、担当職員が週2~3回の家庭訪問を繰り返し、女性の体調にも気を配った。女性は次第に悩みを打ち明けるまでに態度を軟化。行政への不信感がなくなり、市の育児支援サービスも利用するようになったという。
これは、福岡県が2023年12月に作成した「関わりが難しい保護者への対応事例集」(A4判27ページ)に掲載された事案の一例だ。県が県内の各自治体に呼びかけ、虐待対応に当たる職員の「成功体験」を募集。集まった約20事例のうち、特に参考になる14事例を掲載した。事例ごとに、家庭状況や虐待の内容▽市町村の職員がどう工夫して対応したか▽支援後にどんな変化があったか――を時系列で解説。保護者との関係づくりのために「行政手続きに行く際は全て同行した」など具体的な対策も記載されている。紹介事例に出てくる家族構成などは実際と異なるものに変更するなど、個人が特定されないようにも工夫した。
軽微事案は自治体職員の対応増加
例集作成の背景には近年、自治体職員が虐待通告を受けて対応する機会が増えている事情があった。16年に成立した改正児童福祉法は、児相を子どもの一時保護など深刻な虐待の対応に集中させ、それ以外の軽微な事案や養育相談、家庭支援は市区町村が主に担うよう役割分担した。
厚生労働省の統計によると、21年度に市区町村が対応した児童虐待の相談は16万2884件で、17年度(10万6615件)の約1・5倍に増加した。ただ、市区町村に児相のような強い権限はなく、家庭への立ち入り調査などはできない。保護者が行政機関の介入に恐怖を覚えたり、「養育能力を否定された」と怒りを感じたりして支援を拒むこともある。児童虐待の態様は多様で、実践的な対応マニュアルも作りづらいとされてきた。
こども家庭庁が23年9月に公表した「こども虐待による死亡事例等の検証結果」によると、21年度は心中以外の虐待で50人の子どもが亡くなった。うち8人については児相が直接関与せず、市区町村の職員が主に対応したケースだった。
児相との連携方法を巡って、福岡県では重い教訓を残す事件も起きた。大野城市で22年、生後7カ月の男児が肝破裂で死亡し、翌23年に母親(36)が殺人容疑で逮捕された。市は母親が男児を出産する前から育児に困難が予測される「特定妊婦」として支援していたが、母親は支援を受けることに消極的だった。児相とは情報を共有していたが、それでも事件を防げなかった。
県の専門家検証部会は23年1月作成の報告書で、母親を支える上で市と児相の連携不足があったと指摘。支援が必要な保護者との向き合い方などについて、関係機関で共有できる仕組みづくりを検討すべきだと提言した。
検証部会で部会長を務め、現在は一般社団法人「日本児童相談業務評価機関」代表理事の安部計彦氏は、事例集の「成功体験」に共通する保護者との向き合い方として、拒否されても諦めずに関わる▽よくできていることを褒める▽困っていることに寄り添う▽傷ついた体験や置かれた境遇を理解する▽行政手続きに同行し支援する――の5点を挙げる。その上で「各自治体とも保護者対応に苦労しているが、その経験を共有できていなかった。こうした事例集は過去に聞いたことがなく、作成の意義は大きい」と評価した。
事例集は現在、県内の各自治体の担当課で共有しており、県の担当者は研修などで利用し「職員の技術力を向上させたい」と話す。虐待事案があった際に学校や警察を交えて対応を協議する要保護児童対策地域協議会の場でも活用を検討するという。【佐藤緑平】
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