日系人初の米連邦議員で、日米友好に力を尽くしたダニエル・イノウエ氏(1924~2012)の功績を伝える記念施設が25日、ルーツのある福岡県八女市上陽町にオープンした。生前の愛用品とともに、語録や足跡をまとめた年表をパネル展示。第二次世界大戦の苦境を乗り越え、米国内で確固たる地位を築き、日本からも信頼された日系2世の88年の歩みに思いをはせることができる。今年はイノウエ氏の生誕100年――。
イノウエ氏の祖父母と父は1899(明治32)年、上陽町からハワイに移住した。集落で起きた火災の火元とされ、責任を取ってハワイのサトウキビ農園で働き、約20年かけて借金を返済したとされる。
ホノルルで生まれたイノウエ氏は、第二次大戦さなかの43年、ハワイ大医学部在学中に米軍に志願し、日系人らの部隊の一員として欧州戦線で戦い、右腕を失った。
59年に日系人初の連邦下院議員となり、62年から上院議員に転身し、亡くなるまで半世紀にわたって在職。日本の国会議員らが頼る米とのパイプ役として、友好関係の構築に力を尽くした。ホノルルの「ダニエル・K・イノウエ国際空港」は、空港整備に貢献した功績をたたえ、17年に名前を冠して改称された。
八女市は、地元にゆかりある偉人の足跡を広く知ってもらうため展示施設を計画。市によると、19年に妻アイリーン・ヒラノさん(故人)が来日した際、三田村統之(つねゆき)市長(79)が直接会って説明し快諾を得た。市の既存施設「ほたると石橋の館」(鉄筋コンクリート造り一部2階建て)を、国の交付金も活用して約3億4300万円で全面改修。「ダニエル イノウエ ミュージアム」と名付けた。
1階の展示室(約72平方メートル)には、アロハシャツやボールペンなどの愛用品、日本政府から授与された「勲一等旭日大綬章」など約30点が並ぶ。来日時の写真や動画も見られる。施設内のカフェでは、八女の食材を使ったロコモコやハンバーガーなどハワイ風メニューを提供する。
開館に先立って開かれた式典で三田村市長は「戦争を通して実感した平和の尊さを多くの人に伝えた」などとイノウエ氏の功績を挙げ、「施設が多くの人に親しまれ、次世代に受け継がれていくことを願う」と語った。
式典には地元に住むイノウエ氏の親族の井上和枝さん(84)と松崎保元さん(73)も出席した。井上さんは93年に在福岡米国領事館でイノウエ氏と同席した夕食会の写真を見ながら「誰にでも分かるように話をしてくれる優しい人。戦争で腕をなくした時、黒人の方から輸血してもらったといい『自分の中には黒人の血が流れ、今の自分があるのは彼のおかげだ』と話していたのが印象に残っている」と懐かしんだ。
松崎さんは、市内の義務教育学校とホノルルにあるイノウエ氏の母校のミドルスクールが22年から姉妹校として交流している動きも歓迎し、「平和を願う気持ちを子どもたちも受け継いでほしい」と語った。
入館無料、午前10時~午後5時(水曜休館)。ミュージアム(0943・24・8778)。【谷由美子】
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