今春、能登半島地震で被災した石川県珠洲市の小学校に一人の新人教員が着任した。自身も同県能登町にある実家が全壊の被害を受けて避難生活を送るが、「今こそ子どもたちを支えたい。震災の不安を感じさせないサポートをする」と、長年の夢だった教師の道を歩み出した。
能登町寺分の上野香衣(かえ)さん(22)。小学校の先生だった母親の影響か、幼い頃から年下の子の面倒を見るのが好きだった。高校3年時に「さまざまな成長過程の子どもと関われてやりがいがある」と考え、小学校の先生を志した。大学生だった昨秋に県の教員採用試験に合格し、翌春からの教員生活を心待ちにしていた。
埋もれた自慢のアジサイ
元日は、大学生活を送る新潟県上越市内から実家に帰省中だった。夕方、妹と金沢市の商業施設で買い物をしていると、経験したことのない激しい揺れに襲われた。急いで実家の親に連絡すると幸い無事だったが、「道路が崩れて通れなくなっているからそのまま新潟に帰りなさい」と言われた。家や家族が気がかりだったものの、その時は仕方なく新潟に戻った。
やっと実家に帰れたのは3月半ばだった。実家は能登町の観光名所で「アジサイ寺」の愛称で親しまれる平等寺。参道や境内に約4000株のアジサイが植えられ、見ごろを迎える夏は毎年たくさんの見物客でにぎわう。
だが、今回の地震で寺は半壊し、住居部分は全壊した。自慢だったアジサイは土砂崩れによって埋もれてしまった。状況を初めて目の当たりにして、「幼い頃からの思い出が詰まった場所で、寂しさがこみ上げた」と振り返る。
「笑顔に勇気づけられる」
3月下旬になり、配属先が珠洲市野々江町の市立直(ただ)小学校になると伝えられた。地震の被害が甚大で、多くの子どもたちが被災した地区だ。新人の自分に重責が果たせるかと不安もよぎったが、次第に「子どもたちが普通の学校生活を送れるように創意工夫をしたい」と意欲が勝った。
4月から教壇に立ち始めた上野さんは「初めは不安があり、自分が明るく振る舞うことで子どもたちを元気づけようと思っていた」と明かす。だが、実際は「皆が元気な笑顔を毎日見せてくれて、逆に自分が勇気づけられている」と語る。
今は実家近くの空き家で避難生活を送りながら子どもたちと向き合う日々だ。上野さんは「子どもたちと成功も失敗も分かち合い、一緒に成長できる先生になりたい」と思い描いている。【郡悠介】
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