奈良文化財研究所(奈良市)は25日、奈良時代に建立され現存しない東大寺(同市)の東塔について、高さ約70メートルの七重塔だったとみられると発表した。高さ約100メートルとする文献もあるが、関係史料を精査し100メートル説は写本の際の誤記が原因と特定した。2018年に東大寺から委託を受けて研究を進めており、従来考えられていた塔の復元イメージを大きく変える結果となった。
奈文研によると、創建時の東塔について記した史料は複数あり、高さを「23丈8寸(約70メートル)」とする文献と「33丈8寸(約100メートル)」とするものがあった。一方、頂から垂直に延びる金属製の「相輪(そうりん)」の長さを約26メートルとする記録があり、全高70メートルなら相輪の割合が全体の4割近くに及ぶ。バランスの点で、建築史家からは70メートル説に異論が出ていた。
奈文研は、焼失した最古の史料を基に塔の高さを記したとみられる平安時代の4系統の文献を調べ、うち1系統で「廿(にじゅう)三丈」とされていた記述が、後世に写本されていく過程で「卅(さんじゅう)三丈」と誤記されたことを突き止めた。
写本をさかのぼると、江戸時代の国文学者が誤って校訂し、その後誤った数字の引き写しが続いたとみられる。また、相輪の長さが全体の高さの4割近くを占めることについても国内外の塔と比較し、古代においては不自然ではないと結論付けた。
東塔は15~16年の発掘調査で、奈良時代の創建時と鎌倉時代の再建時の遺構が見つかった。創建時の1階部分は約15メートル四方の正方形と大規模で、現存する塔建築より柱の数も多いことが分かった。高さは特定されておらず、長年の課題となっていた。
ただ、高さ約70メートルは、現存最大の東寺五重塔(国宝、京都市)の55メートルを大きく超える。現存する七重塔もないことから、奈文研は塔の復元研究としては初めて構造解析を実施した。興福寺五重塔(同、奈良市)を指標とし、七重塔が自重(推定2307トン)に耐えられるかを検証。一定の妥当性が確認できたという。
東大寺東塔建築復元検討委員の金多潔・京都大名誉教授(耐震工学)は「高さ100メートルはさすがに無理があると思っていた。70メートルでも現在の構造計算で耐えられる強度があったのは驚きだ。1階の面積の大きさが高さを支えていたのは間違いない」と話している。【稲生陽】
東大寺七重塔
奈良時代の大仏の建立に伴い、大仏殿の南にいずれも七重の東塔と西塔が建てられたと伝わる。東塔は764年建立。1181年1月、平氏の南都焼き打ちで焼失した。鎌倉時代に再建後、落雷で再び焼失。西塔も平安時代に落雷で失われた。聖武天皇は741年、全国に国分寺と七重塔の建立を命じており、各地に同様の塔が建てられたとされる。
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