北軽井沢蒸留所の外観=群馬県長野原町で2024年4月6日午後0時22分、福沢光一撮影

 東京・銀座の現役オーナーバーテンダーが手がけるウイスキー蒸留所が、群馬県長野原町北軽井沢にある。浅間山のふもとの冷涼な気候と豊富な伏流水に魅せられ、2023年5月に製造免許を取得してから間もなく1年。これまでは透明の原酒を販売してきたが、4月下旬に約8カ月熟成させて琥珀(こはく)色になったウイスキーを発売する見通しになった。

自分で造りたい

ウイスキー造りの要となる蒸留器(ポットスチル、左上)を紹介する坂本龍彦さん=群馬県長野原町の北軽井沢蒸留所で2024年4月6日午前11時11分、福沢光一撮影

 「自分で造った北軽井沢のウイスキーを、自分の銀座のバーでうんちくを語りながら提供する。バーテンダーとして最高の幸せだと思う」。標高1000メートル超に位置する「北軽井沢蒸留所」で、坂本龍彦さん(51)は蒸留器(ポットスチル)を前にほおを緩ませた。

 10代から六本木、赤坂などでバーテンダーの修業を重ねた。30代だった09年、念願の自分の店「Bar LAG」を銀座8丁目に開店した。当初から経営は順調で、数年すると、さらなる新規出店を期待する声もあったが、坂本さんは「それより蒸留所を造りたい」と思った。

 ウイスキーが大好きで、英スコットランドの蒸留所を何度も訪れていた。自分でウイスキーを造ることを、ずっと思い描いていたという。

 タイミング良く、10年ごろから世界的な品評会で国産ウイスキーが賞を獲得し、海外で人気が高まっていく。国税庁の統計などによると、海外へのウイスキー輸出額は13年以降10年連続で過去最高を更新し、23年は微減だったものの22年に次ぐ501億円。国内では現在約100のウイスキー蒸留所が稼働し、新たな建設や計画も相次いでいる。

北軽井沢蒸留所で造られたウイスキー原酒=群馬県長野原町で2024年4月6日午後0時2分、福沢光一撮影

 坂本さんは各地に造られた蒸留所を一つ一つ見学し、原料▽仕込み(糖化)▽発酵▽蒸留▽熟成(貯蔵)▽ブレンド――といった製造工程を学んでいった。

ウイスキー造りに欠かせない熟成たるを指し示す坂本龍彦さん=群馬県長野原町北軽井沢で2024年4月6日午前11時23分、福沢光一撮影

いつかは「30年もの」を

 蒸留所の候補地の中から北軽井沢を選んだ理由は「浅間山の伏流水と冷涼な気候」という。浅間山の雪や雨が地下深く染み込み、年月をかけてろ過された伏流水が豊富で安定していたことに加え、スコットランドに似た自然環境が決め手になった。

 蒸留所は23年3月に完成した。土~水曜日は長野原町に住み、東京に戻るのはバー開店の水曜夜~金曜。銀座の人気バーテンダーが2拠点生活をしながらウイスキーを造っているというニュースはたちまち常連客に広がり、東京から蒸留所を訪ねる人が絶えない。

バーテンダーとウイスキー造りの「二刀流」の夢をかなえた坂本龍彦さん=群馬県長野原町の北軽井沢蒸留所で2024年4月6日午前11時41分、福沢光一撮影

 「新幹線で軽井沢駅まで約1時間。そこから車で約30分で来られる北軽井沢の地の利が大きい。金曜深夜まで東京で開店していても、土曜午前には蒸留所に戻れる」。ウイスキー造りが軌道に乗れば、一般客の蒸留所見学の受け入れやビジターセンター整備もしたいと考えている。

 坂本さんは満面の笑みで語る。「いつかは30年間熟成させたウイスキーを提供したい。80歳を過ぎてしまうけど……」

 4月下旬に完成する熟成酒は、北軽井沢蒸留所のサイトを通じて販売する。【福沢光一】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。