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岐阜県内、唯一の百貨店が7月31日、47年の歴史に幕を下ろしました。

■岐阜県“最後の百貨店”閉店に涙

岐阜高島屋 橋本社長 この記事の写真は14枚 岐阜高島屋 橋本逸郎 社長
「47年間ありがとうございました」

それは、まるで舞台のエンディングのようでした。

岐阜高島屋 シャッターが下りる岐阜高島屋

「岐阜高島屋」。
最後の姿を見届けようと、2000人以上が、店を囲みました。

集まった人々

シャッターが閉じても名残を惜しむ人。
声をあげて泣く人もいました。

「3歳の時にできたんです」 「もう寂しい。ほんとに寂しいの一言。3歳の時にできたんです」

開店は1977年。
地域の人々にとって、百貨店とはどんな場所だったのでしょうか。

百貨店とはどんな場所? 「家族でいつもお昼食べに来てて」 「家族でいつもお昼食べに来てて」
「バラの広場は友達との待ち合わせ場所」 「全部この岐阜高島屋」 「(娘の)入園式も入学式もランドセルも筆箱ひとつも中学校の制服も全部この岐阜高島屋だった」
人生の彩りを消される思い。そのぐらい生活の一部なので」

百貨店の閉店が、相次いでいます。

一畑百貨店 錦織社長 一畑百貨店 錦織要 社長
「近年の地方百貨店を取り巻く経営環境は非常に厳しく」

今年1月に店を閉じたのは、やはり島根県唯一の百貨店だった「一畑百貨店」です。

一畑百貨店 専務 一畑百貨店 井上智弘 専務
「ただ今を持ちまして… 一畑百貨店… 閉店いたします。長い間ありがとうございました」 「絶対覚えているよ!」 「絶対覚えているよ!

7月31日幕を閉じた岐阜高島屋では、メッセージが壁を埋め尽くしました。

メッセージ「わたくしの青春だった」 メッセージ
「わたくしの青春だった」 「47年間よくがんばったね」 メッセージ
「47年間よくがんばったね」 「泣けてきます」 「なんか泣けてきます。寂しい」
「こんなにたくさんの人がいるのがすごい、これがいつもだったら良かったのになと…」
「またいつか来てほしい」

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