休業中の「田舎料理いちべえ」で、出番を待つ調理器具を見つめる徳岡さん=北九州市小倉北区魚町で2024年4月11日午後6時3分、成松秋穂撮影

 2022年4月に小倉北区の旦過市場一帯で42店舗が焼損した大規模火災から19日で2年。被災した郷土料理店「田舎料理いちべえ」店主の徳岡朱美(あけみ)さん(88)は、被災から約9カ月後に市場内の移転先で営業再開したが、現在は店を開けない日々が続いている。それでも、名物「だご汁」を待ちわびる常連客のため、前を向こうと懸命だ。

 一人暮らしの自宅を兼ねていた被災前の店舗は、市場北側の入り口近くにあった。手伝っていた店を受け継いだのは20年以上前。1階の大きなカウンターに12席を設け、2階の座敷は最大40人が座れる広さだった。手ごねのだんごに鶏肉、大根、ニンジンなど約10種類の具を加えただご汁や焼きおにぎりが名物で、夜は酔客でいつもにぎわっていた。

 2年前のあの日は、激しく戸をたたく音で表に出た。「火事よ!」。隣のラーメン店の従業員が教えてくれた。市場の奥でボン、ボンと音を立てて炎と煙が上がっているのが見えた。貴重品を入れたリュックサックと手提げ、段ボール1箱だけを持って逃げたが、嫁入り道具の着物や継ぎ足しで使ってきた自慢のぬか床など大切なものが一夜で奪われた。

 「近い場所でまたやりたい」と2カ月後には移転先を市場のメインストリート「アーケード通り」沿い、元の店舗からも徒歩2分程度の場所に確保した。ところが、営業再開の準備を進めていた矢先の22年8月、市場が再び火災に襲われたことなどで再開は延び、ようやく店を開けたのは23年2月になってからだった。

名物のだご汁=北九州市小倉北区で2023年2月1日午後4時5分、青木絵美撮影

 店の広さは元の半分以下になり、長机を二つ並べた店内には6人座るのがやっと。2階には12席を設けたが、急な階段を上がる必要があり、いまだ使ったことはないという。焼け跡から見つかった、焼け焦げた母の形見の手回しミシンや、店の壁に掛けていた時計などを片隅に置き、手書きのメニュー表にも火災からの復興を伝えるメッセージを書き込んだ。

 火災が奪ったのは、物だけではなかった。子どもの頃はソフトボールの選手だった徳岡さんは、火災が起きるまで大病もなく風邪知らずだったという。だが火災後、食べ物が喉を通らない日が続き、体重は火災前に比べ12キロも落ちた。

 テークアウトの天ぷら店だった場所を改装した店舗には、保健所の指導で調理場と客の動線を分ける柵を設置せざるを得なくなった。さらに狭くなった調理場で横歩きを強いられて足を痛めて休んだ後、心身のバランスを崩し、23年7月から再び休業している。

 「検査をしても異常はないのだけど」と苦笑する徳岡さんだが、102歳まで生きた母を見習って「100歳まで」と思っていた店も、先が思い描けなくなってきている。

 一人でいると、火災を思い出し急に息苦しくなることがある。そんな時に思い出すのは、店の再開に向け装飾を手伝ってくれた常連客たち、火災後に徳岡さんに密着したテレビドキュメンタリーを見て遠方から足を運び励ましてくれた客たち、だご汁を「おいしい」と食べてくれる客たち。「人を喜ばせることが大好き。店に立ち、お客さんと接していれば、つらさも遠のくと思う」。早ければ5月にも営業を再開させたいと意気込んでいる。【成松秋穂】

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