福岡、大分の両県で死者・行方不明者42人を出した2017年の九州北部豪雨から5日で7年がたった。被災地では災害の記憶を伝える取り組みが始まっている。死者・行方不明者20人が出た福岡県朝倉市杷木松末(はきますえ)地区にあり、避難場所として利用された旧市立松末小は災害遺構として生まれ変わろうとしている。
災害当時、同校には多くの住民が避難。土砂が校舎1階や体育館に流れ込んだものの3階に身を寄せていた住民の命を救った。もともと18年3月に統廃合による閉校を控えていたため、被災後は校舎での授業を再開できないまま144年の歴史に幕を閉じた。
校舎は解体の話も出たが、松末地区のコミュニティ協議会を中心に、長らく地域のシンボルだった旧松末小を地域の人々をつなぐ拠点として復活させようと、災害遺構として整備することを計画。市も応じ、24年度当初予算に事業費約3億3980万円を計上した。
地域のコミュニティー活動の拠点や緊急時の避難場所として活用するほか、東日本大震災で津波被害を受け、震災遺構として保存されている仙台市立荒浜小なども参考に、被災状況が分かる写真パネルや土砂に巻き込まれた音楽室のピアノの展示なども検討する。25年2月ごろの完成を目指す。
地域では23年7月の記録的大雨で、復旧が完了したばかりだった川の護岸が崩れたり、農地に土砂が流入したりする被害が出た。コミュニティ協議会の高倉保之会長(72)は「これからの災害に備えるためにも災害の記憶を忘れないことが大事。地域の人たちがこれからの松末のまちづくりを語り合うなど、つながり合って心の復興ができる拠点にしたい」と期待する。
遺族や住民ら、犠牲者追悼
豪雨から7年となった被災地では、遺族や住民らが犠牲者を追悼した。死者・行方不明者が35人に上った福岡県の朝倉市や3人が亡くなった東峰村では午前10時にサイレンが鳴り職員らが黙とうをささげた。
朝倉市黒川地区では、渕上麗子さん(当時63歳)と、出産で里帰りしていた娘の江藤由香理さん(同26歳)、孫の友哉ちゃん(同1歳)が土砂に巻き込まれて犠牲となった場所で遺族や友人が集まり花を手向けた。「今もあの時から気持ちは変わらない」「もし生きていたら2人の孫も大きくなっていただろうに」と悼んだ。【長岡健太郎】
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