山上徹也被告の主な行動

 安倍晋三元首相(当時67歳)が銃撃され死亡した事件で、殺人罪などで起訴された山上徹也被告(43)が事件前日、岡山市で安倍氏を襲おうとした計画について「持参した手製銃に銃弾を装塡(そうてん)して狙っていた」と供述したことが、捜査関係者への取材で判明した。演説会場の施設に到着する安倍氏を屋外で待ち構えていたと説明したことも明らかになった。

 山上被告は「施設内に入った」とも供述したが、安倍氏に近づけず計画は失敗。詳細な行動は防犯カメラ捜査などで明らかにならなかったが、捜査当局は発射の準備を整えて執拗(しつよう)に安倍氏を狙っていたとみている。

 参院選の選挙期間中だった当時、安倍氏は応援演説で全国を遊説していた。銃撃事件の前日となる2022年7月7日は、岡山市の市民会館(現在は閉館)である演説会に参加することになっていた。

 山上被告はこの頃、安倍氏を標的に絞り込み、その行動を調べていたとされる。演説会の日程を事前に知った被告は手製の銃をかばんに入れ、自宅のある奈良から岡山に向かったことが分かっている。

 捜査関係者によると、山上被告は岡山に着いた後、「市民会館に入る安倍氏を外で待っていた」と供述したことが明らかになった。銃に銃弾を込めていたと説明しており、発射できる状態にしていたことが判明した。

 山上被告は演説会の関係者がどの出入り口を使うか分かっておらず、ほどなくして安倍氏が会場入りしたことを把握。これに伴い、自身も会館内に入ったと説明したことも分かった。ただ、当時は立ち見を含めた聴衆約2000人が集まっていたことから「人が多すぎて安倍氏に近づけなかった」と述べたという。これまでは警備状況から接近を断念したとされてきたが、被告が詳しい行動を語ったことが明らかになった。

 この直前、山上被告は市民会館近くのコンビニに立ち寄り、店内のポストに安倍氏の殺害をほのめかす手紙を投函(とうかん)。襲撃を断念した後、この手紙を回収しようとして失敗していたことが分かっている。

 岡山を後にした山上被告は帰宅するために乗った新幹線内で、翌8日に安倍氏が奈良を訪問することをインターネット上の情報で初めて把握したとされる。捜査当局は岡山での襲撃断念と手紙の回収失敗が重なって焦りを募らせた結果、直近の奈良での銃撃を決意したとみている。

 事件当日の8日、山上被告は安倍氏が演説を始める約1時間半前の午前10時ごろ、会場となった奈良市の近鉄大和西大寺駅に到着し、入念に警備状況を調べていたとみられる。同11時半ごろ、車道に飛び出して安倍氏に背後から近づき、7~5メートルの距離で銃を発射したとされる。

 山上被告は逮捕後、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に入信した母親が献金を繰り返し、自身の家庭が崩壊したと供述。教団に恨みを募らせる中、22年春ごろに安倍氏が教団の関連団体に寄せたビデオメッセージを視聴したことから、教団の活動を安倍氏が国内で広めたと思い込んで標的に定めたとされる。【木谷郁佳、林みづき、川畑岳志】

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