第二次世界大戦末期の1945年、沖縄では多くの住民を巻き込む激しい地上戦が繰り広げられた。犠牲者は日米合わせて約20万人で、一般住民は約9万4000人に上る。しかし、「鉄の暴風」と言われた艦砲射撃や空襲によって焼け野原になった島も、復興が進むにつれて当時の面影は薄れ、凄惨(せいさん)な戦場を思い起こせる場所は少ない。
激戦地の一つ、那覇市内にある「シュガーローフ」と呼ばれた丘の周辺は、開発によって大型商業施設や高層マンションの建ち並ぶ「新都心」となった。各地にあった日本軍の壕(ごう)や住民たちが避難したガマ(自然壕)の多くは崩落し、平和学習での活用も困難になりつつある。
それでもなお、変わらないものもある。敵も味方も赤く染めた夕日。自決を迫られたガマの暗闇。あの年は今年と同じように、4月下旬から雨が続いていた。初夏に咲く白ユリに、ほんのわずか心を留めた人もいたかもしれない。艦砲射撃のやんだ夜に見上げた星空は、今よりも美しかったのだろうか。
日ごと移り変わっていった地上戦の経過をたどりながら、79年前と同じ場所を歩き、今につながる「あの日」の景色に思いをはせた。【喜屋武真之介】
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