今年1月に83歳で亡くなった写真家の篠山紀信さんが太平洋戦争中に疎開していた埼玉県皆野町を1976年に再訪した際に、付近の風景などを撮影した写真が見つかった。疎開先の寺近くにある農家の土蔵に保管されていた。町立三沢小学校の創立記念事業の話し合いで写真の存在が話題となり、篠山さんの事務所に確認し「本物」と判明した。写真は同小に展示された。【照山哲史】
東京都内で40年に生まれた篠山さんは、44~45年ごろ皆野町三沢の高淵寺に疎開した。今回見つかったのは、寺周辺の田んぼや畑、沢などを撮影した四つ切りサイズの白黒写真6枚で、近くで農業を営む太幡(たばた)隆幸さん(76)が保管していた。
太幡さんによると、疎開中に面倒を見ていたのが叔母の升子さん(故人)で、食べ物を提供したり、家の風呂に入れたりして、かわいがっていた。その後、著名な写真家になった篠山さんが76年10月5日に寺や太幡家を訪ねた際、付近を撮影。後日、升子さん宛てに写真が郵送されてきたという。
2月に創立150年を迎えた三沢小の学校運営協議会の会議で、記念誌に校舎の変遷を載せることが決まり、開校時に仮校舎だった寺に話が及んだ。その際、協議会委員の太幡さんが写真について話したことがきっかけになった。
協議会が3月上旬に篠山さんの事務所に連絡したところ、4月下旬になって、本人の撮影であることの確認や学校での利用許可を得られたという。毎日新聞の取材に事務所は「写真には以前共著で出版した『決闘写真論』に掲載されたものもあり、間違いなく本人が撮影したものだ」と話した。
太幡さんは「叔母から疎開当時は目がくりくりしたかわいい子だったと聞いている。写真が保管されていたことは以前から知っていたが、それほど大ごととは思っていなかった」。協議会会長で、写真家の野沢博美さん(80)は「ふるさとに世界的に有名な方が疎開していたことを知ることで、子どもたちに夢を与えることができれば」と話している。
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