花梨ちゃんの写真やぬいぐるみなどが置かれた部屋で思い出を話す宮崎さくらさん=熊本県合志市で2024年4月12日午前11時14分、中村敦茂撮影
写真一覧

 2016年の熊本地震で、入院先からの転院後に亡くなった宮崎花梨(かりん)ちゃん(当時4歳)の母さくらさん(45)らが、「災害関連死を考える会」を3月に設立した。「災害はなくせなくても、関連死はゼロに近づけられるはず」。新たな悲劇を生まないための社会の仕組みを考えようとしている。

 「この時期はどうしても思い出します」。春の日が差し込む熊本県合志(こうし)市の自宅リビングで、さくらさんはつぶやいた。

 花梨ちゃんが生きていれば中学1年生になる。制服姿はどんなだろうか。2歳上の姉と一緒に通ってたんだろうな。ふと頭に浮かぶという。「悲しみの深さは今も変わらない。けれどそれを持ったまま生きていくのが少し上手になったというか」。静かに言葉をつないだ。

宮崎花梨ちゃん=家族提供
写真一覧

 8年前の4月16日未明、最大震度7を観測した熊本地震の本震は、花梨ちゃんが入院していた熊本市民病院(熊本市東区)を容赦なく揺らした。倒壊の恐れから、約90キロ離れた病院へ救急車で搬送されたが、心臓病の手術後の経過管理中だった花梨ちゃんの容体は悪化。5日後に亡くなった。その後、関連死と認定された。

 関連死は、災害による死亡から直接死を除いたもので、過酷な避難生活で体調を崩したり、持病が悪化したりする事例が代表的だ。災害弔慰金の対象で、通常、自治体が設置した審査会が災害との関連を審査して認定を決める。熊本地震では死者276人のうち関連死は221人に上った。

 さくらさんが会の設立を思い立ったのは23年。花梨ちゃんの認定審査会の議事録の開示を受けたのがきっかけだった。その後、他の災害での議事録の運用状況を学ぶにつれ、多くは公開されていないばかりか、一部は廃棄さえされていると知り疑問が湧いた。

 「弔慰金支払いの可否を決めれば制度的に終わりで、犠牲を防ぐための検証が目的とされていない。他の遺族の皆さんはどう思うのか」――。

 もっとも、内閣府は自治体から情報を集めた関連死認定などの事例集を公表している。市町村による円滑な認定や、今後の防災対策の参考にしてもらうことを目的に掲げる。

 ただ、阪神大震災以降の関連死が累計で5000人を超えるのに対し、事例集に掲載されているのは最新の増補版でも約200例にとどまる。個々のケースはA4判1枚程度にまとめられ、概要しか分からない。

 考える会のもう一人の発起人、在間(ざいま)文康弁護士(第二東京弁護士会)は「事例はわずかで、どうすれば命を救うことができたのかという掘り下げ方も浅い。自治体の事例を収集し、縦断的、横断的に分析することは国にしかできない。強く実行を求めたい」と語る。

 さくらさんも思いは同じだ。花梨ちゃんのケースでは、例えば「転院」一つにもさまざまな問題があった。多種類の点滴や人工透析を受けており、搬送方法を決めるだけで時間を要した。自衛隊の協力も検討されたが実現しなかった。救急車の出発後には渋滞に遭い、最寄りの高速道路の入り口は使えず、転院先での治療再開が遅れた。

 さくらさんは、こうした一つ一つの出来事が社会で共有され、検証されれば教訓になりうると考えるが、事例集レベルの情報公開では「『転院』の一言で終わってしまう」と違和感を抱く。「花梨に起きたことを生かしてほしいし、他の遺族の皆さんも『もう二度と』という思いは同じはず。どうすればより良い形に持っていけるのか、話し合いたい」と訴える。

 考える会は今後、遺族らが語り合い、支え合うための集まりを開くことを目指す。会のホームページには花梨ちゃんの事例を掲載しており、協力を得られた別の事例の追加も準備している。【中村敦茂】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。