43人が犠牲になった1991年の長崎県雲仙・普賢岳大火砕流から33年となった3日、被災地の島原市は朝から鎮魂の祈りに包まれた。大火砕流が発生した午後4時8分には防災行政無線からサイレンが市全域に流され、遺族や市民らが黙とうする。
被災者が集団移転した島原市仁田町の仁田団地内に建立されている「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」前では、午前8時半から献花台が設けられ、古川隆三郎市長ら約50人が菊の花を手向けた。
古川市長は「この山の教訓は、自然災害だけでなく報道のあり方を含めた大きなものを残している。再び惨事を繰り返さないために、いろんな方々と見つめ直していくことを改めて胸に思っている」と追悼の言葉を述べた。
また、同市平成町の消防殉職者慰霊碑前では消防団員らが献花し、大火砕流の警戒中に殉職した消防団員12人を悼んだ。【松尾雅也、百田梨花】
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