結婚前に「子どもが楽しみだね」と話をしたあの日から50年以上、「私たちは子どものいない夫婦として、二人きりで生きてきました。きょうは天国の主人に『勝ったよ』と伝えたい」。旧優生保護法下で亡き夫が不妊手術を受けたとして提訴した原告の朝倉典子さん(82)は、福岡地裁での勝訴判決後、安堵(あんど)した表情で語った。
朝倉さんが同じ聴覚障害のある彰さん(享年83)と結婚したのは1967年の秋だった。彰さんは結婚の1週間ほど前、なぜか職場に父が訪ねて来て、社長と話をしていた。内容は分からなかったが、その後社長に呼ばれ近くの小さな病院へ。彰さんは医師にズボンを脱ぐよう指示され、従うままに下半身に麻酔を打たれて手術が始まった。後にそれが不妊手術だったと確信し、夫妻は離婚を考えるほど悩んだが、周囲に隠し、二人で寄り添って生きてきた。
2019年12月に提訴に踏み切ったが、コロナ禍に重なり、弁護団とのやりとりは全て手話通訳や補佐人を介する必要があり、この日の判決までに4年半を要した。
裁判では不妊手術の確認が取れないことが大きな争点となった。国が一律に支給した一時金の申請時に提出した診断書は「他の手術跡の可能生がある」として、本人尋問の中で裁判官が問いかける場面があった。朝倉さんは「家族に付き添われて手続きをしたが、診断書に書いてある文章は理解できていなかった」と述べていた。
ろう者は、手の動きや顔の表情で伝える手話を母語とする。朝倉さんも「(音声の)日本語や(書き言葉の)文章を読んで理解することは苦手」と裁判中に述べていた。旧優生保護法を巡る裁判では自ら疑義の声を上げることが困難な人たちが、被害者となった実態が明らかになっている。ろう者の朝倉さん夫妻もその一人だった。
同法を巡る最初の裁判となった18年当時は「旧優生保護法」の言葉を表す手話表現もなく、ろう者の間では「優しく 生きる 守る 法律」と表現されていたという。
朝倉さんは「何の説明もないままに手術をされ、人生を踏みにじられた悔しさを夫は伝えたかったのだと思う」と亡き夫の思いを代弁し、「法がなくなっても私たちの苦しみはずっと続いてきた。国には謝罪をしてほしい」と、力強い手話で語った。【山口桂子】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。