障害者らに不妊手術を強いてきた旧優生保護法(1948~96年)をめぐり、最高裁大法廷は29日、各地の手術被害者らが提訴した訴訟のうち5件の上告審について弁論を開く。当日は原告の一人で宮城県の飯塚淳子さん(70代、活動名)が意見陳述し、苦しみを法廷で直接訴える。旧法改定直後から被害を訴え続け27年。闘いは最大の節目を迎える。
「これまでやってきたことを、後悔してはいません」。原告たちの結束をあらわし、裁判や報告集会の際に着用してきたピンク色のリボンを握る手に力がこもる。自宅で記者の取材に応じた飯塚さんはこれまでの活動を振り返り、静かに語った。
長い道のりだった。障害児施設を出た後、職業訓練をする「職親」の下で働いていた16歳の飯塚さんは「精神薄弱」(当時の呼称)を理由に説明もなく手術された。この手術が優生手術であると知り、支援団体と協力して国に被害を訴える活動を始めたのは97年。既に手術から30年以上の月日が流れていた。
県が手術記録を廃棄したため、長らく裁判に踏み切れなかった。ところが、村井嘉浩県知事が飯塚さんの手術を認めたことがきっかけとなり、2018年5月に仙台地裁へ提訴。最初に提訴した佐藤由美さん(仮名、60代)と審理が併合された。
だが、国は争いを続け、1、2審とも不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に請求は棄却された。全国では原告勝訴の判決も出ている中、「なぜ私たちだけ」と絶望を味わった。
全てを忘れて日々の生活に埋没すれば、どんなに楽だったか。だが、積もる怒りがそれを許さなかった。障害児のレッテルを貼り、施設入所を促した民生委員、手術のため診療所へ連れて行った職親……。浮かぶのは、そうした顔の思い出せる「個人」だ。
「不良な子孫の出生防止」をうたう法律が社会の差別意識を強化し、周囲の身近な人々が飯塚さんを追い詰めていったのだ。「今でも当時の記憶がよみがえり、つらいです」。国や司法の対応は、そうした飯塚さんの苦しみをくみ取るどころか、突き放すばかりだった。
被害者の高齢化が進み、全国で提訴した39人のうち6人が亡くなった。「なぜ、国はすぐに誤りを認めず謝罪しないのか」。最高裁弁論で闘いは大きな山場を迎える。「手術被害を受けた全ての人が救われ、社会から差別がなくなるような判断をしてほしい」。司法に対し、強く訴えるつもりだ。
除斥期間、最高裁の判断焦点
最高裁での最大の焦点は原告の請求について除斥期間が適用されるかどうかだ。
最高裁で審理される5件のうち、高裁で勝訴判決が出たのは4件。除斥期間を理由に請求が認められなかったのは飯塚さんと佐藤さんが原告の仙台高裁判決(23年6月)だけだ。
勝訴判決4件はいずれも手術後20年以上が経過していたが、「著しく正義・公平の理念に反する」などとして除斥期間の適用を制限した。ただ、権利行使(提訴)が可能となる時期については見解が分かれている。
たとえば、23年3月の札幌高裁判決などでは「損害賠償請求権を行使するために必要な情報を得ることが困難な状況が解消されてから6カ月」と限定的なのに対し、続く大阪高裁判決では「国が旧法を違憲と認めるか、最高裁判決で旧法の違憲性が確定してから6カ月」と被害者が新たに提訴できる可能性を広げた。
これらを踏まえ、最高裁が除斥の制限を認めた場合、被害者の救済についてどのような統一判断を下すのかも注目される。
弁論を前に、全国弁護団の共同代表も務める仙台弁護団の新里宏二団長は「ようやく(国を)大法廷まで追い込んだ。(最高裁判断が)三度目の正直であってほしい」と万感の思いをにじませる。一方、最高裁判決について、多くの手術当事者がいまだに名乗り出ていない状況を踏まえ「(除斥期間の適用制限について)全ての被害者が救われるよう、実態に見合った柔軟な統一判断をすべきだ」と強調した。
「(他の原告と判断が分かれ)飯塚さんらが救済から漏れることがあってはならない」
同じく飯塚さんらを支援する山田いずみ弁護士はクギを刺す。早期に被害を訴える声を上げ、全国提訴の動きにつなげた飯塚さん自身が救われなければ、真の問題解決とはいえないからだ。【遠藤大志】
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