九州大に寄贈された「九大生体解剖事件」に関する資料。医学生として実験手術に立ち会った東野利夫さんが収集した文書など=九大提供

 太平洋戦争末期の1945年、福岡市の九州帝国大(現・九州大)で捕虜の米兵8人が実験手術を受け、死亡した「九大生体解剖事件」について、手術に立ち会った元医学生が戦後に収集した資料約300点が遺族から九大医学部に寄贈された。九大が発表した。事件は九大にとって「負の歴史」とも言えるが、九大は福岡市東区の病院キャンパスにある医学歴史館で資料を保存し、今後は展示などで医学教育や平和教育に生かすことを検討している。

 九大によると、資料は事件当時、医学生だった故・東野(とうの)利夫さんが集めたもの。生体解剖に関わり戦犯となった教授らの公判記録の写しや、東野さんが生き残った米兵らと戦後に交流した記録などの文章や写真がある。東野さんは2021年に95歳で亡くなり、資料は遺族から「大学で保管してほしい」と寄贈された。

 事件は45年5~6月に起きた。熊本、大分県境に墜落した米軍爆撃機B29の乗組員ら捕虜8人が九州帝国大に運ばれ、肺を切除されたり、血液の代わりとして塩水を注入されたりした末に死亡。旧陸軍西部軍や九大関係者ら23人は48年、BC級戦犯が裁かれた「横浜裁判」で有罪判決(うち5人が絞首刑)を受けた。事件は遠藤周作の小説「海と毒薬」の題材にもなっている。

「九大生体解剖事件」に医学生として立ち会い、戦後、資料を収集していた東野利夫さん(2021年死去)。生前、「人を救う病院で、絶対にあってはならないことだった」と語っていた=福岡市中央区の東野産婦人科で2015年7月28日午後3時51分、尾垣和幸撮影

 医学部に入学したばかりだった東野さんも手術に立ち会わされた。罪には問われず、裁判では検察側証人として出廷した。戦後、福岡市で産科医として医院を経営する傍ら、B29の墜落現場を訪ねたり、裁判記録を読んだりするなど事件について取材を重ねた。79年に「汚名『九大生体解剖事件』の真相」を出版し、講演などで体験を伝えてきた。

 関係者によると、東野さんは生前から資料の寄贈や医学歴史館での保存・展示を望んでいた。ただ、展示内容を巡って大学側と話がまとまらず、寄贈も実現しなかったという。

 東野さんが亡くなった後、遺族は旧海軍航空隊があった大分県宇佐市に寄贈を打診したが、同市に直接関わる資料ではなかったため、実現しなかった。そんな中、事情を知った医学部同窓会の外(ほか)須美夫会長らが昨年末ごろに遺族と面会したことがきっかけで寄贈が決まった。

 外会長は「世界中で戦争が起きている今、寄贈された資料は過去の教訓を学ぶことができる大事なもの。医学や平和教育に役立てられるだろう」と話す。医学部同窓会も運営に関わっている医学歴史館で今後、企画展などを開いて広く伝えていきたいとした。【田崎春菜】

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