ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが亡くなっていたことが分かりました。94歳でした。
桂由美さんの所属事務所がTBSの取材に回答しました。
また、桂さんの担当者によると、亡くなったのは4月26日。
死因や、亡くなった場所については、桂さんの意向により、公表されないということです。
また、ユミカツラの公式インスタグラムでは、桂さんを追悼する文書が公表されました。

桂由美さん


公式インスタグラムでは「株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します。」と、投稿。

続けて「並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。」と、記しました。


更に「1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。」と、綴りました。


公式インスタグラムでは「1981年にはNYショーのデビューを皮切りに、ローマやパリなど、30カ国以上へと活動の場を広げ、国内だけにとどまらず世界中の花嫁に影響を与えました。日々ドレスの制作や新素材の開発を続けながら日本の素晴らしい伝統技術を体感した桂由美は、ブライダルの枠組みを超え、日本の技術を用いたコレクションをパリコレはじめ海外で発表。日本の伝統美や技術を継承し発信していく試みは、世界的に評価されました。」と、説明。

そして「最後に、桂由美のウエディングドレスにかける強い思いと美への探究心――そこから生み出されるドレスたちは多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません。」と、記しています。

更に「ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた藤原綾子・森永幸徳・飯野恵子の3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました。ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします。」と、桂さんを追悼しています。

【 桂由美さん プロフィール 】

1964年日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始。
翌年、日本初のブライダル専門店をオープン。
日本のブライダルファッション界の第一人者としてパリやNYなど世界各国30以上の都市でショーを行い、「ブライダルの伝道師」とも称される。
1993年に外務大臣表彰、2019年には文化庁長官表彰を受賞。
2023年11月には、結婚式におけるウエディングドレスという分野を確立し、日本のシルクの美しさや魅力を世界中に広く周知し、絹文化の発展に貢献した功績は偉大として蚕糸功労者最高賞「恩賜賞」を受賞。

1964年:日本で初のブライダル専門店オープン
1968年:日本初のブライダルブック出版
1975年:桂由美ブライダルハウス建築
1987年:パリ・コレクション開催
1988年:全国にフランチャイズ店を組織
1994年:プロポーズの日提唱
1995年:アジアブライダルサミット開催(毎年開催)
1999年:東洋人として始めてイタリアファッション協会オートクチュール部門に入会
2001年:ローマコレクションで「和紙ドレス」を発表、「WASHI MODE」の言葉が定着
2003年:パリ・オートクチュールコレクションに参加(毎年)
2005年07月:パリ・カンボン通りのシャネル本店前に「ユミ・カツラ・パリ」オープン
2013年10月:アジア・クチュール協会発足、同創立メンバーに選出


・トライアンフ大賞(ヨーロピアンエクセレンス協会、1991)
・外務大臣表彰(1993)
・新時代婚礼服飾文化賞(中国婚姻家庭建設協会、北京服装協会、1996)
・繊研新聞・繊研賞特別賞(2014)
・港区文化功労賞(2017)
・蚕糸功労者恩賜賞(2023)




【 ユミカツラ 公式インスタグラムより引用 ※全文※ 】

桂由美に感謝を込めてー

株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します。

並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。
1981年にはNYショーのデビューを皮切りに、ローマやパリなど、30カ国以上へと活動の場を広げ、国内だけにとどまらず世界中の花嫁に影響を与えました。日々ドレスの制作や新素材の開発を続けながら日本の素晴らしい伝統技術を体感した桂由美は、ブライダルの枠組みを超え、日本の技術を用いたコレクションをパリコレはじめ海外で発表。日本の伝統美や技術を継承し発信していく試みは、世界的に評価されました。
最後に、桂由美のウエディングドレスにかける強い思いと美への探究心――そこから生み出されるドレスたちは多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません。

同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」との言葉を寄せました。

ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた藤原綾子・森永幸徳・飯野恵子の3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました。
ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします。


【担当:芸能情報ステーション】

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