病気に関する情報交換もしていた音楽家の坂本龍一さん(写真右)と音楽プロデューサーのつんく♂さん。写真はニューヨークの坂本さんの自宅で=2018年7月

音楽プロデューサーのつんく♂さん(55)は、昨年3月28日に71歳で他界した音楽家、坂本龍一さんと互いのがん闘病中につながり、親交を深めた。

つんく♂さんは喉頭がん、坂本さんは中咽頭がん。「同じような病気を患った者同士、感覚的につながる何かがあった気がします」

治療のために声帯を摘出したつんく♂さんが、食道を震わせて声を出す食道発声で坂本さんとの思い出を振り返った。

同時期にがん公表

1980年代、3人組バンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」で世界を席巻した坂本さん。90年代にはバルセロナ五輪の開会式で音楽を担当した他、CM曲「energy flow」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」などが大きな話題を呼んだ。

つんく♂さんも90年代にロックバンド「シャ乱Q」のボーカリストとしてデビュー。「モーニング娘。」をはじめとするアイドルグループをプロデュースし、数多くのヒット曲を生み出した。

同じ音楽業界に身を置きながらも面識はなく、「僕の人生とは(格上すぎて)接点がない方だと思っていました」。

坂本龍一さんと共同制作した思いを振り返るつんく♂さん=4月4日午後、大阪府東大阪市の近畿大学

きっかけは、ともに2014年に公表した喉のがんだった。坂本さんは米ニューヨークで治療を受けていた。

「ニューヨークではどんな治療法があるのか聞きたい」。音楽プロデューサー、小室哲哉さんを介してメールを送ると返信があった。以来、度々連絡を取り合って、治療や健康について情報交換するようになった。

NYのスタジオで

初めて対面したのは、ニューヨークにある坂本さんのプライベートスタジオだった。つんく♂さんがニューヨークを訪れた際、急に連絡したにもかかわらず「スタジオ居るから明日おいでよ」と誘ってくれた。

互いのレコーディング方法について語り、「『モー娘。は人数が多くて大変だね』って言われましたね」。何よりも、病気のことで励まし合った。

食事の節制について話題になったとき、坂本さんが「人間って、自分には甘いよね」と話したのが印象に残っている。おいしいというのは、刺激があるということ。「『おいしいものが多いから、残りの人生をニューヨークで過ごすか京都で過ごすか、迷ってるんだよ』とおっしゃっていました」。口調をまねて、懐かしそうに目を細める。

最初で最後の共同制作

エイベックスからの提案で、2020年、坂本さんと小児がん治療支援のチャリティーソングを共同制作した。

普段、自身は曲を作ってから歌詞を書くことが多いタイプ。坂本さんからどんな曲が届くのだろうと思っていたら、「『先に歌詞を書いて』と言われました」と笑う。

《出会えたことが 奇跡の奇跡 一度きりの人生だし 楽しまなくちゃ 欲張らなくちゃ》

2人で作り上げた「My Hero~奇跡の唄~」。坂本さんは誰もが歌いやすいメロディーを意識し、「俺っぽくない曲だろ」と話していたという。

坂本龍一さんとの絆について語るつんく♂さん=4日午後、大阪府東大阪市の近畿大学(いずれも彦野公太朗撮影)

しかし翌年のリリース直前、坂本さんは直腸がんを公表し、当面は治療に専念することになった。

連絡するかどうか悩んだ。「体調はどうですか?って聞くのもなんやし…。もし逆の立場だったら、返事をするのが難しい」。そう考えて連絡をとらないまま、別れがやってきた。

だが疎遠になったとは感じていない。同じがんという病気になり、「同志というか、お互いに感じるものがあった。一緒に曲も作り、多くを語らなくても分かり合える距離感になっていました」

音楽に表れていた魅力

YMOの楽曲を初めて聴いたとき、最新の電子楽器類を駆使した独自の「テクノ」サウンドに、革新的で攻めていると感じた。

大人になって改めて聴くと、サウンドの中に「和の音階や和音が入っていて、ここに親しみやすさを残していらしたんだ」と気づいたという。

坂本さんのこうした音楽には、人としての魅力が表れていると感じている。

「裏表がなくて、いろんなことにチャレンジする余裕と貫禄があって、おしゃれで。男性からもかっこいいと思わせる大人」。それでいて、「たまにちらちらと、子供のようないたずら心が見える人」だった。

例えるなら、相手の肩を後ろからトントンとたたき、振り向いた頰を人さし指で軽く突くような。「そんなベタないたずらを、楽しめる人でしたね」

(藤井沙織)

【プロフィール】

つんく♂ 1968年、大阪府出身。音楽家、エンターテインメントプロデューサー。1988年にバンド「シャ乱Q」を結成し、1992年にメジャーデビュー。1997年からボーカルユニット「モーニング娘。」をプロデュース。その後、数々のアーティストのプロデュースや楽曲提供を多数行う。2023年には著書「凡人が天才に勝つ方法」(東洋経済新報社)を発表。

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