鹿児島県の種子島宇宙センターから20年以上にわたって打ち上げられてきた、H2Aロケット。
次の50号機で運用は終了され、新型のH3に完全に移行されます。
打ち上げ日は未定ですが、先日種子島に50号機の機体が到着し、多くのファン、そして製作に携わる人も宇宙へと飛び立つ日を待ちわびています。
9月30日の夜。
道幅いっぱいを使って、ゆっくりゆっくりと運ばれているのは、H2Aロケット50号機の機体です。
予定より1日遅れて行われた移送作業ですが、南種子町の交差点では多くのファンがその様子を見守っていました。
移動を見に来たファン
「震えちゃった。なんか感動して」
「移動するのは初めて(見る)。今回H2A最後の運搬なんで記念に見に来た」
「最後だから、夜運ばれるところもちゃんと見れてよかった」
Q.打ち上げは見に行く?
「はい!絶対見に行く」
この50機で最後となるH2Aロケット。
2001年8月、試験機1号機が種子島宇宙センターから打ち上げられてから、これまで失敗はわずか1機のみ。
世界のロケットの中でも高い信頼性を誇る日本の主力ロケットです。
その開発・製造を担う愛知県にある三菱重工の工場を訪ねました。
この工場で長年、H2Aの製造に携わってきた鹿児島出身の平島健二さんです。
三菱重工 宇宙システム組立課・平島健二さん(鹿児島出身)
Q.初めて見た打ち上げは?
「初めて自分が携わったという言い方をすると、10号機。自分が携わったものが宇宙に上がっていく。『固体ロケットが分離します』『1・2段が分離します』とかアナウンスを聞きながら、確認しながらっていうのは今でも忘れない」
入社当時からロケットに携わり、機体への加工品取り付けから最終的な完成までの作業、そして種子島への搬出までを担ってきました。
平島さん
「大変なことと言うと、当たり前のように種子島まで送ること、これを確実に当たり前のように出荷する。種子島の方では打ち上げ日に対して当たり前のように打ち上げる。この淡々とするというのがすごく難しい」
当たり前なことが実は大変なことー
そんなロケットに携わる仕事のいろはを、このH2Aに教わったと話します。
平島さん
「この(H2A)ロケットに関しては感謝している。ありがとうと言いたい。正直言うとまだ打ち上げたかった。50で終わらせたくない」
そんな思いを抱きつつ、平島さんは次のステップを見据えていました。
平島さん
「最後、有終の美ではないけど、打ち上げが成功したら、H3に向けてバトンをつないでもらって、次のロケットに進まないといけない」
ロケットに携わる人、そしてここ鹿児島の地で打ち上げを楽しみに待つ人。
それぞれの思いをのせてH2Aロケットはその役目を終えます。
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