期待と不安 もうはまだなり、まだはもうなり…
このところ東京株式市場の日経平均株価が史上最高値を連日更新するニュースで沸いた。12日(金)は値下がりしたものの、株価への注目は続くだろう。
ここでたびたび登場するのが、バブル経済の絶頂とされる1989年末の最高値3万8915円を上回る「バブル超え」だ。
ただ「バブル超え」を聞いた時、全く逆の2つを意識してしまう。
一方で35年かかって上回り、さあこれからだという期待。他方で再び下落に転じ、崩壊が迫っているのではという不安だ。
相場格言「もうはまだなり、まだはもうなり」とはよく言ったものだ。
株価4万2000円を超えた今回の最高値はバブル絶頂期とは異なるだろうか。
確かに今、ディスコのお立ち台で踊る人はいないし(念のためだがジュリアナ東京は1991年)、1万円札を振りかざしてタクシーを探す人も見ない。そもそも一度痛い目にあって繰り返すはずがないだろう…。当時の社会現象を知る人に聞けば「バブルとは違う、違う」と答えるだろう。
しかし経済情勢を見ると、必ずしも「違う」とだけは言い切れないのだ。
1989年当時と現在 金利・為替・地価の動向に相似
1989年当時と現在をマクロで比べると似ている点がある。特に金利・為替動向と地価高騰だ。
このうち金利・為替が似ているというのは意外かもしれない。バブル経済は超低金利政策の産物というイメージが強いからだ。全体を通じてはその通りである。
「日銀、引き締め策に転換」と報じられる(『朝日新聞1989年5月31日』) しかし1989年当時はすでに金利上昇局面にあった。2.5%だった公定歩合は5月に9年ぶりに引き上げられたあと、10月と12月にも利上げし4.25%に達していた。物価高の圧力を抑えるためだった。ただこの3回の利上げ時の株価値下がり分を市場は“吸収”した。
またプラザ合意(1985年)以来の円高が続いていたと思いがちだが、1989年当時はむしろ先行利上げした米欧との金利差から生じる円安が問題になっていた。1ドル123円(1月)が143円(年末)まで大幅に下落した。金利引き上げは円安に歯止めをかける狙いもあった。
水準こそ違うものの当時の金利と為替の方向性は、現在に重なる面がある。
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当時から警鐘 経済界トップにも存在当時から警鐘 経済界トップにも存在
さらに当時は「バブル」に気付かないまま愚かにも深みにはまっていった…と見下したくなる心理が現在の我々にある。
ところが実際は現在進行形で「バブル」にある程度気付いていたのである。
朝日新聞は社説で「経済の不安定さが増した。地価も株価も実態から遊離した高値になって、そのかなりの部分はバブル(泡)である。バブルは常に破裂する危険をはらんでいる」(『朝日新聞1990年1月4日』)と警鐘を鳴らしていた。
バブル絶頂でも慎重だった宮内義彦氏と川上哲郎氏(東京・千代田区、1988年) 日本経済新聞が経済界トップ20人に聞いた株価予想では、株価上昇の声が多数派だったものの、オリックス・宮内義彦社長と住友電気工業・川上哲郎社長の2人は先行きにかなり慎重な姿勢を示していた(『日本経済新聞1990年1月3日』、肩書はいずれも当時)。
宮内氏は「(1990年)後半では弱含みが免れない」、川上氏は「予想外の突発事件が起これば今の株価水準からみて暴落もありうる」と説明した。ただ、ともに1990年の下落率を約10%と予想し、実際の下落率39%までには届かなかった。
予想を超える規模で崩壊したという現実だった。
“カネ余り”の行き着く先は
「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならない」という課題の克服を掲げたアベノミクスと黒田バズーカによる異次元金融緩和。流通するカネを増やし、いわば人工的に経済に着火して大量の酸素を送って勢いを付けるような形で、最終的に民間投資の拡大につなげようとした。
しかし現実にカネは新たな民間投資に十分につながらず、“カネ余り”となって、その一部が株式・不動産・海外に向かっている。
その意味でこのところ続いた株価最高値更新にもバブルの側面がある。このうち「人工的」な部分は金融正常化にともなって一定の縮小をしていくことになるだろう。それが株価全体にどれだけのマイナスの影響で出るだろうか。
投資そのものは決して悪ではないが、「真面目に働いている人」が物価高で実質賃金が低下し暮らしが厳しくなりマイホームも遠のく一方で、株式や土地だけで資産が膨らむ人がいるという状況ではやむをえないだろう。(テレビ朝日デジタル解説委員 北本則雄)
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