“日本一コカ・コーラを売った男”は、初めて営業という仕事に就いた頃、「言いようのない不安」にとらわれていたという。
大学卒業後、四国コカ・コーラ ボトリング社に入社した山岡彰彦さん。高知営業所のルートセールスからキャリアをはじめ、全国のボトラー社から初の日本コカ・コーラ社への出向を果たす。
その道のりには、周囲の人から教えてもらった机上では学べない多くの経験があった。
著書『コカ・コーラを日本一売った男の学びの営業日誌』(講談社+α新書)から、高知営業所時代にお金の重さを実感したエピソードについて一部抜粋・再編集して紹介する。
“何でも置いてあった”下田酒店
下田酒店は老夫婦で営む小さなお店です。
お二人とも優しいというか、人が良いというか、お客さんだけではなく私たち営業の人間に対しても穏やかに接してくれます。
酒店といってもお酒だけではなく、野菜を始め生鮮食品も扱っているので、高齢ながらもお二人はいつも仕入れ、配達と忙しく働いており、飲料の発注から店内の商品陳列まですべて私たち任せです。
そんなふうですから、ほとんどの業者が自分たちの都合で品物を置いていきます。
この記事の画像(4枚)このため店内の商品は山のようになっています。売り場は雑然とした感じが否めず、随分と古い商品が店の奥に積まれたままになっていたり、もう何年も前に取り付けられたようなポスターがくすんでそのままになっていたりしています。
それでもお二人はそんな状況をまったく意に介していないようです。私が訪問した時も、納品を終えて伝票を差し出すと何も言わずに古いレジ機を開けて、お金を集めて渡してくれます。
こういったお店なので月末の目標達成が苦しい時は、在庫過多だとわかっていても必要以上に置いてしまいます。
気がつけば、小さなお店にもかかわらず、ちょっとしたスーパー並みの在庫量になっていました。
ふと思い浮かんだ下田酒店
今日も伺うと、「今週も頑張っているね。いつもありがとう」と奥さんが優しく声を掛けてくれます。その言葉に助けられつつも、正直なところ少しばかりの痛みを感じていました。
そんななか、自販機販売の設置強化月間がスタートしました。
今回の目玉は、小型の缶から大容量のペットボトルまで搭載できる多機能の超大型自販機です。
店内で扱っている飲料のほぼすべてを販売することができる優れものですが、ちょっとした小型の自動車が買えるくらいの価格です。
営業所に割り当てられる台数にも限りがあり、採算ペースを考えると設置場所は慎重に選ばなければなりません。
しかし、私の販売機材の設置成績はまったく振るわず、最下位を競っています。なんとかしなければと焦りますが、こんな時ほどあがいても上手くいかないものです。
本当に困った、どこか売り込み先はないだろうか。
ふと下田酒店が思い浮かびました。
「そうだ、あそこなら買ってくれるかもしれない。今回の大型機を置けば在庫も一気に片づくかもしれない」
超大型自販機を買ってくれることに
早速、翌日に訪問です。
お二人を前にカタログを広げ、大型機を設置することのメリットを懸命に伝えます。その間、ご主人と奥さんはじっと私の話を聴いてくれています。
10分ほど話したところで、奥さんが「あなたが、そんなに熱心に勧めるものなら、それほど悪いものではないんでしょうね。設置してもいいけど、凄く高いねぇ。本当に大丈夫かしら」と承諾はしてくれましたが少し不安げです。
ご主人は黙って奥さんのほうを見ています。結局、奥さんの判断でその超大型機は店頭に置かれることとなりました。
契約にはクレジットによる割賦販売と現金による一括払いがあります。私は負担が掛からないよう、月々の売り上げの中から返済するクレジットを勧めたのですが、奥さんからは「借金するのは好きじゃないから、現金で支払いますよ」との返事をいただき、お店を後にしました。
営業所に帰るとマネジャーがやってきて「よくやったな、凄いじゃないか」と一言。
同僚の驚く顔を見ながら、その日は久しぶりになんとも言えない達成感を味わうことができました。
そして自販機の代金を受け取る日。いつも通り少し離れたところにクルマを停めて店に向かいました。
100円玉が詰まった480グラムの袋
店の入り口のすぐ横にはレジを置いている小さな台があり、そこが奥さんの定位置です。
領収書の金額を見せて「よろしくお願いします」と伝えたところ、奥さんは傍らの箱から小さなビニールで括られた100円玉が詰まった袋を出しはじめました。
「この一袋で480グラムなんだけど、これで一万円ちょうどになるんだよ」と一つひとつ丁寧に秤に載せ、重さを確認しながら私に渡してくれます。
買っていただいた自販機はクルマが買えるくらいの金額なので、100円玉の詰まった袋の数は少々の量ではありません。
一定以上の量の硬貨は受け取りを拒否できるという話を聞いたことがありますが、受け取る時は大変さも手伝って、そんなことを考える余裕はありませんでした。
「もし、足りなかったら言ってね。その分は払うからね」と奥さんから言われて店を後にしました。
営業所に戻り、ずしりと重い集金の布袋を抱えてコインカウンター(硬貨を数える機械)の前に座り、いただいたお金を数えている時に「自分は本当にあの老夫婦が積み重ねてきた頑張りに応えられることをしているのだろうか」という思いがこみ上げてきました。
薄っぺらな自分に気づいた出来事
100円玉の中には汚れて変色したものや黄ばんで曇ったビニール袋がまじり、結構な古さを感じさせるものもあります。
老夫婦が毎日コツコツと働いてきた本当に長い間の商売の重みが、小さな袋の一つひとつに詰まっています。
営業は相手のことを思うことが根底にあってこそ、仕事としてかたちになります。自販機が売れずなんとかしなければ…。多すぎる在庫をなんとかしなければ…。
私を信じて自分たちの積み上げてきた大切なお金を出してくれた老夫婦に対して、私の考えや行動のどこに相手を思う気持ちがあるのでしょうか。
自分のお客様、自分たちの商品を大切にしようという姿勢があったのでしょうか。そう思うといたたまれなくなりました。
「足りなかったら言ってね」
奥さんの言葉を思い出しながら、コインカウンターの金額表示に目をやると、3000円ほど多く入っていました。その後、その自販機はなんとか採算をとれるペースで働いてくれました。
そのことが唯一の救いでしたが、このことは営業活動を通じていただく対価、まさにお金の重さを知る経験となりました。
苦しい時に人間の本質が出るとよく言われますが、営業という仕事は苦しい時、如実にそれが表れる仕事ではないかと思います。
自分たち営業を支える「敬店愛品」という言葉とそれを自分事とする姿勢はどこにいったのか。下田酒店を通じて薄っぺらな自分に気づき、改めてその大切さを思い知りました。
(本文に登場する人物名・店名などは、実名・仮名を適宜使い分けています)
山岡彰彦
株式会社アクセルレイト21代表取締役社長。現在は複数の大学で講義、多数の日系・外資系企業で研修を行っている
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