新1000円札の表の顔、細菌学者・北里柴三郎と島根県のつながり。
ペスト菌の発見や破傷風の血清療法の確立など多くの功績を挙げ、「近代日本医学の父」として知られる細菌学者・北里柴三郎。
その北里とともに写真に収まる男性。
秦佐八郎、かつての島根県美濃郡都茂村・現在の益田市美都町出身の細菌学者です。北里のもとで細菌学を学び、ペスト菌の研究を支えました。
秦佐八郎のふるさと、益田市美都町。
今も、生家の建物が残され、隣にある記念館でその足跡をたどることができます。
佐八郎はここで明治6年、1873年に豪農・山根家の8男として生まれました。
学業は優秀で、14歳の時、跡継ぎに困っていた地元の医師「秦家」の養子となり、その後、岡山大学医学部の前身・第三高等中学校医学部を経て北里柴三郎が設立した伝染病研究所に入りました。
数多くの後進を育てた北里の研究所には赤痢菌を発見した志賀潔、黄熱病の研究で知られる野口英世など多くの優秀な門下生がいましたが、秦もその一人、勝るとも劣らない功績を挙げました。
安部大地記者:
「秦佐八郎の功績は何になるのでしょうか?」
秦佐八郎博士顕彰委員会・久保和宏会長:
「サルバルサンですね、ここにあるのは試薬です。梅毒を治す薬を研究して作った世界で初めての化学薬品ということで有名になった」
1900年代初頭まで、治療薬がなく「死の病」として恐れられていた性感染症の「梅毒」。
北里の元で学んだ秦はドイツに渡り、1910年、細菌学者のパウル・エールリッヒとともにその特効薬「サルバルサン」の開発に成功します。
今では当たり前になっている病気の原因になる細菌だけを死滅させる「抗菌薬」で、世界初の化学療法剤は「魔法の弾丸」と呼ばれました。
サルバルサンは毒性の強いヒ素を含んで副作用があり、現在は使用されていませんが、その後、抗生物質の「ペニシリン」が実用化されるまで約40年間、「死の病」から多くの人を救いました。
秦佐八郎博士顕彰委員会・久保和宏会長:
「イギリスやドイツとか大学の学生が秦の話を勉強で学ぶ。それだけ立派なので、日本の国の中でそれだけの値打ちをわかってもらえさえすれば」
こうした功績からノーベル賞の候補にも挙がりましたが、島根県民の間でもはあまり知られていない秦佐八郎。それでも地元の子どもたちは…。
Q北里柴三郎と秦佐八郎はどちらがよく知っている?
小学生:
「秦佐八郎さんの方が知っています」
「4年生から(授業で)習っていた」
「秦佐八郎さんの方が知っています」
さらに、こんな期待の声も…。
小学生:
「次のお札?秦佐八郎さんになって欲しいですね」
取材の中で、記念館で、こんな写真を見つけました。
野口英世とのツーショット。
秦と野口は研究所の同期生。
のちのちまで親交があったといいます。
野口英世から北里柴三郎にバトンタッチされた1000円札の顔。
その2人とつながる益田が誇る世紀の医学者・秦佐八郎がお札の顔になるときが来るかもしれません。
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