【ガス・電気】北海道ガスが省エネルギ―事業など、「ガス会社なのに…」と意外に思われる事業に進出している。「なのに系ガス会社」とPRする川村智郷社長に時代の変化への対応について聞きました。
野球と文学に打ち込んだ学生時代
――どんな子供時代を過ごされましたか?
出身は後志管内余市町です。生まれて中学まで余市で、小樽の高校へも電車で通っていました。小学生から野球をやっていて、高校では一応、甲子園を目指していました。ただ、高校の後半からは、夏目漱石や森鴎外の小説を読むようになり、文学を勉強したいと思って早稲田大学教育学部国語国文学科に進学しました。
――余市から東京ですか。
東京の生活は慌ただしく、特に満員電車が非常に苦手でした。卒業後は地元に戻りたくなりました。北海道で仕事をするなら、地域に根ざし、北海道の発展に貢献できる企業として、北海道ガスに入りました。
時代が大きく変わる中、視野広げた出向時代
――若い頃はどんな仕事をされていましたか?
最初の配属は料金課でした。当時は50万件ほどのお客様の料金を紙で処理していました。かなりアナログですよ。そのうちに天然ガスへの転換の時代を迎えました。石油からのガスを地中からの天然ガスに変えるのです。ガスの単位当たりの熱量が変わり、ガス器具は以前のままでは使えなくなる。1996年から14年間かけて、その50万件のお客様のすべてのガス器具の部品を交換しました。ガス事業の大きな変化を感じながら働いていました。
――すごいタイミングを経験されたのですね。
(ガスを取り巻く状況もそうですが)、業界団体の日本ガス協会に出向して、2001年から3年間、東京で働き、この出向が大きな転機となりました。補助的な立場ながら、ガス関連の法律を作ったり、改訂したりして、本当に勉強になったと思います。ガス会社で働く意味合いやガス事業のあり方をあらためて考える良い機会になりました。
殻を破る挑戦「なのに系ガス会社」を推進
――北海道に戻り、どんな仕事をしましたか?
ちょうど天然ガス転換が佳境を迎え、天然ガスの普及拡大に向けて経営計画を立て、ガス料金を決める経営企画的な仕事を10年間ほどやりました。2014年からは電力事業に取り組むことになりました。ガスと電気は似て非なる部分があり、事業化には苦労もしましたね。ガスと電気を組み合わせる「総合エネルギーサービス」という新しい考え方を社内で伝えて(社員の意識を変え)、事業を進めました。
――2022年の社長就任はどう受け止めましたか?
本当に青天の霹靂でした。入社のきっかけが地域に貢献したいという思いでした。これまでより貢献に深く携われる立場になると思ってお受けすることにしました。今、さまざまな事業に取り組んでいます。ガス会社なのに、電力の小売りや省エネルギーの推進、住宅の賃貸事業など、(ガス会社の殻を破る)事業も幅広く手掛け、地域と連携して環境への取り組みも強化しています。こうした取り組みから「なのに系ガス会社」とPRしています。こうした事業のベースになるのがDX(デジタル改革=デジタルトランスフォーメーション)ですね。
経営理念は地域の元気 成長の源泉と期待
――ガス会社にとってDXとは?
(通信回線を利用したガスメーターの遠隔検針)などの自動化で正確性が高まるとともに、スピードアップし、業務のプロセスを効率化でき、(省力化した部分を)高付加価値の仕事に振り向けられるのです。大量のデータをリアルタイムに扱え、お客様の望むタイミングで、望むサービスを提供できるようになります。お客様1人1人の関係を変えていけると思います。
――今、ボス(社長)として心がけていることはありますか。
やはり目的意識を大事にすることでしょうね。一つ一つの仕事には目的や意味合いがあり、それぞれの持ち場でしっかりと仕事の目的を考えるよう(社員に)伝えています。
――仕事以外の分野にも力を入れていますね。
地域に根ざすエネルギー会社としては、地域の元気が我々の事業の成長の源泉になります。クラシックコンサートを開いたり、少年野球大会を後援したり。地域の活性化につなげたいと思います。社内では硬式野球部を2018年に作り、都市対抗野球にも何度か出ています。これも地域の元気につながると期待しています。
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