内戦が続くシリアの反体制派は8日、首都ダマスカスを制圧し、国営テレビでアサド政権が崩壊したと宣言した。タス通信によると、アサド大統領は8日、家族とともにモスクワに到着し、人道的配慮に基づきロシアへの亡命が認められたという。反体制派が11月下旬に大規模攻勢に出てからわずか12日目で、父子2代で50年以上にわたったアサド政権の独裁が幕を閉じ、2011年から続くシリア内戦は大きな転換点を迎えた。
ロイター通信などによると、反体制派の報道担当者は声明で「圧政者アサドは打倒された。刑務所から全ての収容者を釈放した」と表明した。国民や戦闘員に対しては「自由なシリアであらゆる財産を守るよう求める」と述べ、治安の維持を呼びかけた。一方、アサド政権のジャラリ首相は声明で「シリアが選ぶどのような政府とも協力する用意がある」と述べ、平和裏に権力移譲を行う意向を示した。
また、反体制派の政治組織「シリア国民連合」のバハラ議長はロイターに対し、移行政府による18カ月間の統治期間を設け、憲法を制定したうえで民主的な選挙を行うべきだと述べた。今後は反体制派が中心となり、スムーズな権力移行や安定した統治を実現できるかが焦点となる。
反体制派は米国がテロ組織に指定している「ハヤト・タハリール・シャム」(HTS)が主導している。11月27日に北西部から大規模な攻勢をかけ、北部アレッポや中部ハマなどの主要都市を次々と制圧。中部の要衝ホムスも支配下に置き、そのままダマスカスへ向けて進攻した。シリア南部から北上した別の部隊も首都へ入り、政府軍は目立った交戦はせずに撤退した。HTSのジャウラニ指導者は8日、ダマスカス市内のモスク(イスラム教礼拝堂)で「この勝利はすべてのイスラム諸国のものであり、新たな歴史だ」と勝利宣言した。
アサド政権を支援してきたロシア外務省は8日、アサド氏が内戦の参加者らと協議した結果、大統領の地位を辞することを決め、国を離れたと発表した。平和裏に権力を移譲するよう指示してから出国したとしている。
中東メディアなどによると、シリア各地で8日、多くの住民が路上に繰り出し、政権崩壊を歓迎した。ダマスカスに住むアブデル・ファラーさん(45)は電話取材に「政権崩壊は予想もしていなかった。これからどうなるのか分からないが、とにかくうれしい」と語った。
ダマスカスでは大統領宮殿に侵入した集団も確認されたほか、アサド政権を支援していたイランの大使館では反体制派の戦闘員とみられる武装集団が家具や窓ガラスなどを破壊した。
シリア内戦では、トルコや米国、カタールなどがそれぞれ反体制派側の組織を支援したのに対し、ロシアとイランはアサド政権の後ろ盾となり、激しい対立が続いた。トルコやイランなどは8日、武力闘争の停止や安定的な政権移行の実現を求めた。一方、シリアと対立してきた隣国イスラエルは8日、アサド政権崩壊の混乱に乗じる形でダマスカスや南部の軍基地などを空爆した。
中東では昨年10月に始まったパレスチナ自治区ガザ地区の戦闘を機に周辺国へと紛争が拡大してきた。シリア国内の混乱が続けば、中東情勢がいっそう混迷を深めることになる恐れもある。【カイロ金子淳、エルサレム松岡大地】
シリア内戦
中東の民主化要求運動「アラブの春」に触発されて、2011年3月、シリア南部などから反体制デモが全土に広がった。これに対して、アサド政権は市民を徹底的に弾圧。トルコなどは反体制派の支持に回り、内戦は泥沼に陥った。14年には過激派組織「イスラム国」(IS)がシリアなどで「国家」の樹立を宣言。一時は反体制派やISに押されたが、15年のロシアの軍事介入でシリア政府軍が勢いづき、軍事的優位を明確にした。国連人権高等弁務官事務所などによると、内戦では21年3月時点で民間人30万6000人以上が死亡しており、このうち約2万7000人が子供だった。紛争を逃れて国外へ避難した難民も600万人以上に達した。
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