奇岩の絶景に 最大2万人が暮らすことができた地下都市も
トルコの世界遺産「カッパドキアの岩窟遺跡」では、キノコみたいな形の巨岩の柱がニョキニョキと立っている景観にまずビックリさせられます。高さ50メートルにおよぶキノコ岩もあり、現地では「妖精の煙突」と呼ばれています。
この一帯は火山灰などが堆積してできた凝灰岩(ぎょうかいがん)で比較的柔らかく、その大地が雨などによって浸食され、林立する「妖精の煙突」が生まれました。カッパドキアはこの奇岩の絶景によって自然遺産になっていますが、文化遺産としても世界遺産に登録されている複合遺産です。理由は、地底に広がる世界最大級の地下都市の遺跡。
その「デリンクユ地下都市」は地下85メートルまでアリの巣のようにトンネルが張り巡らされ、最大2万人が暮らすことができたとされます。デリンクユとは「深い井戸」という意味で、名前の由来となった井戸が今でも残っており、番組「世界遺産」でも撮影しました。まずこうした井戸を掘り、それから縦横に都市を広げていったと考えられています。
カッパドキアにはこうした地下都市だけではなく、断崖に横穴を掘って作った洞窟住居や教会が多数あります。洞窟住居がたくさん掘られた岩山も残っており、上から下まで穴だらけの様子はさながら古代の高層住宅・・・こうした洞窟の多くを作ったのは、初期のキリスト教徒たちです。彼らは3世紀頃に迫害から逃れ、カッパドキアにやってきて無数の洞窟を作ったのですが、それはこの地が柔らかい凝灰岩で容易に掘ることが出来たからです。
約2000年前から現代まで 冬は手彫りの洞窟で過ごす遊牧民
実は現代でも、凝灰岩を掘った洞窟に人が暮らしている村がイランにあります。それが世界遺産「メイマンドの文化的景観」。メイマンドというのは村の名前で、凝灰岩の崖を掘った洞窟住居が400もあり、ちゃんと人が暮らしています。
彼らは遊牧民で、羊など家畜を連れて移動し、春は草原、夏は山の家、そして冬は洞窟住居で過ごします。番組でこの洞窟住居を撮影したのですが、内部は意外と広く、家畜のための部屋までありました。囲炉裏もあって、そこで長年にわたって料理を煮炊きしてきたため、天井も壁も脂と煤で真っ黒になっています。実はこの脂と煤が凝灰岩の壁を保護していて、「人が住まなくなって火を焚かなくなった洞窟は崩れてしまう」と村人は言います。
メイマンドの村人は約2000年前からこの地に住み、手掘りで洞窟の家を作り、変わらぬ遊牧生活を続けてきました。世界遺産になるための条件に、「ある文化を特徴づけるような伝統的集落や土地利用の優れた例であること」というのがありますが、イランの洞窟村はまさにこの条件を満たすものとして世界遺産になっています。
オシャレな内部も イタリアの天然の洞窟群を利用した洞窟都市
一方、元々あった天然の洞窟群を利用した洞窟都市が、イタリア南部の世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」です。マテーラの洞窟群は古くから住居として使われ、その旧市街は今も多くの人が洞窟で暮らしている洞窟都市です。カッパドキアやメイマンドでは人が掘って作った洞窟だったのに対し、マテーラは元々あった天然の洞窟を中心に利用してきたわけです。
番組でも撮影したのですが、内部はイタリアらしいオシャレな家も多く、さらには洞窟を利用したレストランやスパまであって、観光地としても人気急上昇中。マテーラの場合、たくさんある洞窟の入り口にそれぞれ建物が立っているため外観からは洞窟が見えず、内部に入らないと洞窟感がなかなか伝わらないところがあります。
しかし街の南西にある「岩窟教会公園」では、古代から残るむきだしの洞窟やそれを利用した教会跡を見ることが出来ます。
実は、夏は涼しく冬は暖かいといわれる洞窟住居。洞窟暮らしというと「はじめ人間ギャートルズ」的な原始生活を連想しますが、現代も人が暮らす優れた居住形態のひとつであったのです。
執筆者:TBSテレビ「世界遺産」プロデューサー 堤 慶太
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