戦争、迫害、災害、貧困などを理由に故郷を追われる人々は世界中で絶えない。アフリカ最大の難民受け入れ国でありながら、ウクライナや中東の紛争のはざまで光の当たらないウガンダから、難民のいまを報告する。
流浪の生活、1年あまり
祖国の内戦で両脚を失い、戦禍を逃れて転々とした。ようやく腰を落ち着けた異国の地で安心を取り戻せるはずだった。避難先でも日々の暮らしはままならず、不自由な身で先行きへの不安を強めている。
「母だけでも避難させないと」。アフリカ北東部スーダンの首都ハルツームの運転手、ナシレルディンさん(65)は激しさを増す内戦に危機感を募らせていた。
スーダンでは2023年4月、政府軍と政府系の準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間で権力争いを背景にした戦闘が勃発。ナシレルディンさんの自宅周辺は当初、比較的落ち着いていたが、4キロ先の母や兄夫婦が暮らす実家一帯で戦闘が激化した。犠牲者の遺体が至る所に横たわる路上を駆け、実家へ向かった。
たどり着いた先では、激しい銃撃や爆撃で大勢の人が逃げ惑い、自らも実家の建物に逃げ込んだ。その時、付近に落ちた爆弾の衝撃で家屋が崩れ落ち、金属製の梁(はり)が両脚を直撃した。
病院に運ばれて一命を取り留めたものの、右脚は落ちてきた梁でちぎれた。重傷の左脚も切断手術をせざるを得ず、両脚の膝下を失った。「命が助かったことをただ神に感謝するだけだった」と振り返る。
ハルツームでの生活を断念し、妻ナワルさん(52)、15~24歳の4人の子どもとの一家6人で翌5月に脱出。息子たちに両脇を抱えられながら、スーダンと、隣国の南スーダンを転々とした。
避難を続ける中で、同じ避難民から「ウガンダでは難民をよく受け入れてくれる。障害者もきちんと面倒を見てくれる」と聞かされた。インターネットで調べた息子たちからも「大丈夫みたいだから行こう」と勧められ、一念発起。流浪の生活が始まって1年あまりたった24年7月、タクシーや貨物飛行機などを乗り継ぎ、ようやくウガンダに入った。
しかし、待っていたのは期待とはかけ離れた現実だった。身を寄せるウガンダ中西部のキリヤンドンゴ難民居住区では食糧配給はあるものの、わずかな米と豆ばかり。栄養不足で、家族は体調を崩しがちだ。学齢期の次男(18)と次女(15)は、学費が払えず学校に通わせられない。「ここでは難民のための家が建てられ、良い学校もあると聞いていたが、事実ではないと分かった」と失望する。
「幻肢痛」に悩まされ
両脚を失ったナシレルディンさんは座ったままか横になるかしかできず、腰に負担がかかり強い痛みに苦しむ。失ったはずの両脚に痛みを感じる「幻肢痛」にも悩まされ、激痛のあまり就寝中に悲鳴を上げて目覚めることもある。
日常の移動には車椅子を使うが車輪にはひびが入って壊れかけ、誰かに押してもらわないと進まない。雨天の後は地面がぬかるみ、使うことすらできなくなる。より移動の自由が利く義足を付けてほしいが、手に入れられる場所が見つからない。
体の不自由は地域での孤立にもつながっている。難民居住区で頻繁に開かれる難民同士の集まりに参加できず、地域の情報を得る機会を失っている。「いつも他の人からまた聞きで聞かされるだけで、私も直接参加したい」と訴える。
今一番の願いはウガンダを離れることだ。「本当は祖国に帰れればいいが、銃声と爆撃におびえて暮らす日々にはもう戻りたくない。教育や医療の仕組みが整った場所に再び移りたいが、まだ具体的な国は思いつかない」【キリヤンドンゴ郡悠介、写真・滝川大貴】
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