パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマス最高指導者ヤヒヤ・シンワル氏の死亡が17日、イスラエル軍によって確認された。昨年10月のハマスによる越境攻撃を首謀したとされ、イスラエル軍が1年以上にわたり行方を追っていたシンワル氏とは、いったいどんな人物だったのか。
AP通信などによると、シンワル氏は1962年、ガザ地区南部ハンユニスの難民キャンプで生まれた。両親は現在のイスラエル南部アシュケロンに住んでいたが、48年のイスラエル建国とともにガザに逃れていた。
イスラエルに対する抵抗運動に身を投じたのは大学時代だ。87年に結成されたハマスに参加し、スパイを摘発する活動に従事した。残酷な手法でスパイを殺害したことから「ハンユニスの殺し屋」との異名もついた。
88年にはイスラエル兵やスパイを殺害したとしてイスラエルに拘束され、終身刑を下されている。だが、獄中でもストライキを主導するなどして、指導力を発揮。このときに「敵」を知るため、ヘブライ語やイスラエル社会についても学んだとされる。2008年には脳腫瘍を患い、治療を受けた。
釈放されたのは11年。ハマスが拉致したイスラエル兵との交換で解放された約1000人のパレスチナ人の中に、シンワル氏も含まれていた。ガザ地区に戻ったシンワル氏は17年、ガザ地区のトップに就任。イランとの協力関係を深め、軍事力を増強したという。
昨年10月の越境攻撃は、シンワル氏が軍事部門トップのムハンマド・デイフ氏とともに計画し、実行したとされる。ハマスはイスラエルに対してたびたびロケット弾攻撃を仕掛けていたが、21年5月以降は意図的に衝突を避け、越境攻撃の準備を進めていたとみられている。
イスラエル軍との戦闘が始まってからは、ガザ地区に張り巡らされたトンネル内に潜伏し、移動を続けていた模様だ。シンワル氏は停戦交渉でも大きな決定権を握っていたが、交渉団との連絡にも数日かかったという。一方、人質の前に姿をあらわし、流ちょうなヘブライ語で話しかけたこともあるとも報じられている。
今年7月末に最高指導者だったハニヤ氏がテヘランで殺害されると、最高指導者に選出された。ハマス幹部によると、シンワル氏はガザ地区に精通しており、軍事部門の経験もあることから「全会一致」で選ばれたという。
イスラエル軍によると、軍はシンワル氏がガザ地区南部に潜伏しているとの情報を得て、過去数週間にわたり軍事作戦を実施。16日に戦闘員3人を殺害し、DNA検査などにより、このうち1人がシンワル氏だったと確認したという。【カイロ金子淳】
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