北京から南に車で 2 時間。河北省の保定市で、カーナビを頼りに山沿いの道を進む。
この辺りは去年、大きな被害をもたらした水害の影響がまだ残っていて、一車線しかない狭い道があった り、通れない橋があったり、危険を感じる瞬間もしばしばだ。
「本当にこんな場所にあるのだろうか?」
安全第一で車をゆっくり走らせると、山奥の村の中にようやく目指す建物が見つかった。「青年養老院」という一見すると矛盾した名前を持つ施設だ。
中国便り 24 号
ANN 中国総局長 冨坂範明 2024 年 7 月
■お年寄りがいない「青年養老院」 全国でも人気の場所に
「青年養老院」と言っても、お年寄りが住んでいるわけではない。また、養老院のように 長くそこで暮らすわけでもない。
分かりやすく言えば「山村や農村にあるシェアハウス型の民宿」というのが実態に一番近いだ ろう。
普通の民宿と違うのはお客さんを若い世代の「青年」に限っているという点だ。
「青年養老院」という言葉は今年の春節ごろからはやりだした。若者が自分たちを「老人」に なぞらえて一足先に「養老院」のような生活を味わおうという皮肉を込めた命名で今では全 国各地に存在する。
今回訪れた「青年養老院」も6 月に普通の民宿からリニューアルしたばかりだ。一泊およそ 200 元(4000 円)で、週末になると10 室近い部屋が満室になるという。
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■みんなで山の上で瞑想 都会の生活には疲れ■みんなで山の上で瞑想 都会の生活には疲れ
我々が訪れたのは土曜日の午前中だったが、お昼ごろになると部屋の中から人が出てきて、庭に集まりだした。「青年養老院」のスタッフと思われる女性が大きな声で音頭をとり始める。
「では、集まった人たちで山に登りましょう」
こういった自由参加型のアクティビティがあるのも「青年養老院」の特徴だ。 この日のアクティビティは、「山の上での瞑想」。
山を少し登ったところにある祠(ほこら)で、思い思いの姿勢で20 分間目を閉じる。ただそれだけだ。
「何も考えず、頭を真っ白にして、大自然を感じることができた」
瞑想を終えた 20 代男性の王さん(仮名)は、最近仕事を辞めたばかりだという。
「毎日働いてお金を稼ぐだけの毎日に疑問を感じた。北京の生活リズムが早すぎる」
王さんには借金があるが、それでも「癒し」を求めて青年養老院を訪れたという。
同じく瞑想に参加していた 20 代の林さんは、何度も「青年養老院」を訪れているリピーターだ。
「都会の生活は単調だし、ここには同じような友達がいるから、悩みを共有することができる」
彼らに共通しているのは都会の生活に疲れ、癒しを求めているということだ。
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■入試で競争、成績で競争、就職で競争、出世で競争…■入試で競争、成績で競争、就職で競争、出世で競争…
この場所で「青年養老院」を始めた崔さんも、田舎から都会に出て働くプレッシャーを感じながら 10 年間北京で働いてきた一人だ。
彼が指摘するのは「内巻(ネイジェン)」と呼ばれる、内輪の競 争の激しさだ。
大学入試で競争、大学入学後は成績で競争、大学卒業後は就職で競争、就職後は出世争いで競 争…。
こういったプレッシャーに加え、中国の経済成長が減速してからは暮らしぶりが厳しくなっ たという。
「生活のコストが上がっているのに、経済が良くない。マンションはなかなか買えない。もう大都会で競争したくないから、ここで『青年養老院』を始めたんだ」
競争に疲れた若者を表す言葉として、一時「寝そべり族」という言葉が流行した。
ただ崔さんは「青年養老院」は、若者たちが「寝そべる」ための場所ではなく、一時的に休憩をし てもらい再出発をするための場所だ、と強調する。崔さんは同じ思いを持つ若者から出資を募り、同じ村で「青年養老院」の建物を増やすのが夢だという。
ただ、お金を払って「青年養老院」で暮らせる若者はまだ恵まれているのかもしれない。
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■消費不況で大量閉店 存在する「35 歳の壁」■消費不況で大量閉店 存在する「35 歳の壁」
私の知り合いの 36 歳の楊さん(仮名)は10 年前に実家の陝西省から北京に来て以降、 高級料理チェーンでホールスタッフとして働いてきた。
そつのない接客態度と、まじめな性格で人気のスタッフだったが、今年に入ってこのチェーンが 10 店舗近くあった北京の店をすべて閉店。
上海の店は残っているが、北京の従業員は全員解雇となり楊さんも職を失った。
本来、法定の経済 補償金をもらうことができるが「会社にもお金がない」という理由で、2 年間は支払えないと一方的に言われているという。
「自分には接客しかできないし、『35 歳の壁』を超えているから、就職は難しい」
「35 歳の壁」というのは中国の SNS でよく言われる「再就職が難しくなる」年齢だ。
企業側には 同程度のスキルであれば、若い人間を雇って人件費を節約する狙いがある。
楊さんはルームメイトと2 段ベッドだけの部屋で暮らしながら職探しをしているが、うまくはいっていない。
4 月から 6 月の中国の経済成長率は目標の5%を下回る 4.7%。
北京市内のモールでは閉店するテナントが目立つようになっている。
1976 年生まれの私も日本の就職氷河期を経験してきた世代だが、人口が巨大で格差の大きい 中国では、一人一人にのしかかる圧力も全く違うのだろうと、取材を通じて漠然と実感した。
こういった景気悪化による就職難や、若者の苦悩の増加は、社会不安につながりかねないとして、 中国政府も非常に重視している。
7 月に開かれた中国共産党の重要会議「三中全会」の決定には、就職について「高いレベルの十分な就職を促進する」と書き込まれた。ただし詳しい内容はわからない。
中国の若者たちの悩みが、改善される日は来るのだろうか。
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