英南西部トーキーにあるアガサ・クリスティーの像=2023年11月4日、篠田航一撮影

 人種差別やルッキズム、ハラスメントを許さない意識は社会に浸透しつつある。かつて日常語だった言葉が今や「不適切」と判断されるのも最近は当たり前になった。だが、既に世に出ている「過去」の文学作品はどう扱うか。英国やフランスで今、こうした論争が起きている。

 たとえば英国の推理作家アガサ・クリスティーの作品だ。近年は出版社側の判断で改変されることが多いが、フランスのダティ文化相は今年3月、国会の委員会で「私はあらゆる検閲に反対だ」と述べ、原作中の表現はあくまで「文脈の中で理解すべきだ」との考えを示した。

 欧州メディアによると、2020年以降に出版されたクリスティーの作品は一部が改変されている。1920年に初版刊行の「スタイルズ荘の怪事件」では、「ジプシータイプの若い女性」が単に「若い女性」に変えられた。ジプシーとは少数民族ロマの蔑称とされ、現在はほぼ使われていない。同じ本の別の場面で名探偵エルキュール・ポアロが発した「彼はユダヤ人だ」とのセリフも削除された。

 「チョコレート工場の秘密」などで知られる英国の作家ロアルド・ダールも同様だ。22年時点では「魔女がいっぱい」など複数の作品で、「太った」が「大きい」、「鼻は小さく平らだった」が「鼻は小さかった」、「邪悪な女」が「邪悪な人」などに変えられた。スパイ映画「007」シリーズの原作者イアン・フレミングの小説も、性的な描写や人種に関する表現が削除・改変されている。

荷物を抱え、欧州各地を移動するロマの一家=オーストリア南部で2010年3月7日、篠田航一撮影

 教育現場からは「不快な表現は改めるべきだ」と理解を示す声が上がる一方、スナク英首相は23年2月、報道官を通じて「加工すべきでない」と改変反対を表明した。フランスでも、英語からフランス語に翻訳する際、改変する出版社としない社に分かれている。

 私自身、映画や小説でアジア人を蔑視する表現を目にすれば、確かにいい気はしない。ただ、ダティ氏が指摘するように「文脈の中で理解する」ことの重要性もよく分かる。その意味で検閲には反対だ。

 日本では最近、昭和と令和の世代間ギャップを描いたドラマ「不適切にもほどがある!」が話題になった。「ほどがある」ラインは常に難しい。

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