5

ロシアのプーチン大統領は5月7日、大統領就任式を行い2030年までの任期をスタートさせた。

その矢先、ロシア正教会のトップ、キリル総主教は30年までどころか、プーチン氏に死ぬまで権力の座にとどまるよう公に求めた。就任式以降、プーチン大統領は核の威嚇を強め、国内の言論弾圧も強まり続けている。

その日、大クレムリン宮殿の中では一体何が起こっていたのか?
そしてプーチン大統領は、これから何をしようとしているのか?
ANNの取材班は、クレムリンの中から就任式を取材した。

豪華絢爛の広間 就任式の裏側−――

朝から雪が舞っていた。

5月7日、最近1カ月で最も冷え込み、これほど雪が降った就任式はロシア史上初めてだとテレビのニュースは報じている。

クレムリンの黄金の広間 この記事の写真

太陽は、空を覆う分厚い灰色の雲の奥にすっかり隠れているが、大クレムリン宮殿の広間だけは別世界だった。まるでそこだけ太陽が照らしているかのように目を覆うほどの輝きに包まれている。無数のシャンデリアが放つ光が、白地の壁と天井を埋め尽くす金の装飾と巨大な鏡に照り返され、広間全体を輝かせていた。

ウラジーミル・ウラジーミルビッチ・プーチン(71)は、正午前に執務室を出た。長い廊下を歩いて屋外に出ると、雪は冷たい雨に変わっている。

国産車のアウルスに乗り込んだプーチン大統領は500メートル離れた宮殿に向かった。宮殿の階段を上がると巨大な戦闘画が目に飛び込んでくる。

絵画「剣を持って我々に来る者は、剣で死ぬだろう」
聖人ネフスキーがドイツ騎士団を打ち破った「氷上の戦い」を描いている

「剣を持って我々に来る者は、剣で死ぬだろう」と名付けられたその画は、柔道着姿のプーチン大統領の肖像を描いたことでも知られるプリセキンの作品だ。

1242年にアレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を撃退した「氷上の戦い」の死闘を描いていて、最近プーチン大統領は、こうした外国の軍隊との戦いを描く歴史的な絵画を好むといわれている。

正午の鐘とともに内側から黄金の門扉が左右に開かれ、プーチン大統領はホールに足を踏み入れた。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

別室の記者たち

プレスルームの疲れた記者たち

私たちも含め、就任式に立ち会いを許されなかった記者たちは広間近くの別室に設けられたプレスルームでその様子を見届けた。大半はロシアの国営メディアだ。

すでに来場者に話を聞いたり、儀式が始まる前の様子を撮影したり、一通りの仕事はそれぞれ終えていた。疲れもあってか、中継されるホールの様子を無表情で画面を見つめている。

モニターの向こう側でプーチン大統領が特別装丁の憲法に手を置き宣誓すると、一人がパチリと一回だけ手をたたいた。しかし、続く人はいない。手をたたいた男性も空気を察したのか、すぐに手を膝の上にしまった。

プレスルームは、静寂に包まれている。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

宣誓後のプーチン大統領の演説は拍子抜けするほど短かった。

西側諸国との関係について言及し、傲慢にならず互いの利益を尊重した上での対話が可能だと語ったが、その言葉に特別な希望を見出す人はほとんどいない。西側との関係は悪化の一途をたどるだろうし、ロシア国内のさらなる締め付けが待ち構えていることは明らかだ。

次のページは

「終身大統領」に静かにうなずくプーチン大統領

「終身大統領」に静かにうなずくプーチン大統領

宮殿を後にしたプーチン大統領は、クレムリン敷地内のソボールナヤ広場で閲兵式に臨んだ。傘をさすことは許されない。打ち付ける冷たい雨にプーチン大統領は何を思っただろう。

式が終わると、赤じゅうたんをたどってブラゴヴェーシェンスキー聖堂へ徒歩で向かった。

キリル総主教の特別礼拝

かつてモスクワ大公やロシア皇帝家が使用していたこの教会でプーチン大統領を迎えたのは、ロシア正教会のトップ、キリル総主教だ。
特別礼拝を行ったキリル総主教は、その静寂と威厳に包まれた儀式の終わりにこう述べた。

神よ、いつまでもかれを権力の座に残したまえ

プーチン大統領は、静かにうなずいた。

直訳すれば、キリル総主教は「世紀の終わりまで」と言った。今世紀の終わりまでプーチン氏が生きながらえることはないだろうから、暗に「終身大統領」になるようにと促したのだ。

もちろんロシアの憲法上、そのようなことは認められていない。日本人の私たちには信じ難いかもしれないが、やりとりは真剣そのものだ。

大きく取り上げられたキリル総主教の発言

新聞各紙はキリル総主教の言葉を大きく扱った

翌日、いくつかの新聞はプーチン大統領の就任演説よりも、キリル総主教の発言を大きく取り上げた。

大衆紙「モスコフスキー・コムサモーリッツ」は1面のトップ記事で取り上げ、記事のリード部分にはこう記した。

「キリル総主教は祈りで、多くの人がひっそりと思っていることを、公にした。今世紀末まで、つまりプーチン大統領は死ぬまで政権を握るということだ」

また、別の大衆紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」は、キリル総主教の言葉を全文掲載して詳報した。

ロシアメディアによると特別礼拝の生中継は初めてのことだという。

次のページは

「恐るべき決断」

「恐るべき決断」

ネフスキーを描いた絵画とプーチン大統領

キリル総主教の踏み込んだ発言は「終身大統領」だけではない。

国家元首が恐るべき決断を下さなければ国民、国家が危険に陥るかもしれない

プーチン大統領を中世ロシアの英雄でドイツ騎士団を打ち破ったアレクサンドル・ネフスキーに重ねた。あの就任式のホールの入り口に掲げられた戦闘画の主人公だ。

ネフスキーは敵を容赦せず、聖人となった

国家元首がとるべき「恐るべき決断」が正確に何を意味するのかはわからない。ウクライナへの侵攻を正当化するだけのものなのか、あるいはさらに激しい、そして恐ろしい攻撃を促しているのか。

ラムザン・カディロフ

ホールで就任式を見届けた2500人の出席者たちが帰途につくなか、出口の一角に小さな人だかりができている。チェチェン共和国のカディロフ首長だ。

圧制を敷き、いくつもの国際団体から人権侵害で非難されている人物。

人だかりの中心にはカディロフ氏

プーチン大統領にとってカディロフ氏は、反乱が絶えなかったイスラム勢力に対する重し役となっているが最近は健康不安説が絶えない。

そんなイメージを払しょくするためだろうか、カディロフ氏はロビーで写真撮影に応じる。だが、過去の映像と比べて滑舌は著しく悪くなり、体は風船のように不自然に膨らんでいる。

カディロフ氏は国営メディアが声をかけると、気軽に生中継にも応じている。5分以上待たされても文句一つ言わずカメラの前に表情一つ変えないまま立っている

インタビューに応じるカディロフ

中継が終わったタイミングを見計らって質問しようかとテレビカメラをもって近づくと、側近がむしろカディロフ氏の前に私たちを押し出した。まるで、できるだけ多くのカメラに映らせようとしているようだ。

どこのテレビ?日本?へえ。

カディロフ氏は、特に驚いた様子もない。

プーチン大統領の長期政権についてどう思っているのかと尋ねるとこう答えた。

ロシアはプーチン大統領を愛している。
彼は世界レベルのリーダーだ。だから国民が彼を選んでいる。
国民が選ぶなら、彼は国民に奉仕するしかないでしょう。

次のページは

「皇帝」を演出する就任式

「皇帝」を演出する就任式

カディロフ氏曰く、プーチン氏はあくまで国民の願いを受けて大統領を続けているという。ほかの出席者たちに質問してみても、プーチン大統領は法律を超えてでも長期間権力の座にいるべきだ、と強く信じているようだ

元宇宙飛行士で軍人のユーリ・ロンチャコフ氏は「国民が大統領を信頼している。それが一番重要だ」と述べる。

政治学者のセルゲイ・ミヘイエフ氏は、「民主主義は宗教ではない」「現状を指揮できるのはプーチン氏だけだ」と語り、プーチン大統領の再選が繰り返されている現状を肯定する。

ピョートル・トルストイ副議長も「ロシアは独立国家だ。西側の国々の意見を気にする必要がない」という。

では、彼らが信頼を寄せるプーチン大統領は、ロシアをどこへ導こうとしているのだろうか?

中国「頼み」のプーチン

中露首脳会談でも思うような結果は出なかった

プーチン大統領は、活路を中国に求めている。

5期目の最初の訪問先として中国を選び、ベロウソフ国防相やマントゥロフ第一副首相、ラブロフ外相、ショイグ国家安全保障会議書記ら主要閣僚らを従えた。新たに国防相に就任したベロウソフ氏は、これまで一帯一路構想のロシア側の中心人物で、経済から金融、そして軍需まで中国に頼ろうとしている。

しかし、結果はロシアにとって好ましくはなかった。特にロシアが最も必要とする、中国との新たな天然ガス・パイプライン「シベリアの力2」に具体的な進展はみられなかった。

中露のガスパイプライン「シベリアの力」 写真:新華社/アフロ

事業主体となるガスプロムは、西側への輸出の激減により、2023年の決算で赤字に陥っていて、「シベリアの力2」は、ロシアにとって何としても実現しなければならないとされている。

ガスプロムは、トルコ経由のパイプラインに供給量を増やすことで損失をカバーしたい考えだが、この交渉も難航している。プーチン大統領が年明けから計画しているトルコ訪問はいまだ実現しない。

ウクライナを通るパイプラインの契約も今年の年末に満期を迎えるが、ウクライナのエネルギー省は「契約は延長しない」と言明している。ガスプロムの経営がロシア経済に与える影響は甚大だ。

モスクワで開催されている大規模博覧会「ロシア」のガスプロムの展示場をのぞくと、理由がよくわかる。

ガスプロムは、ガス事業だけでなく、公共事業や教育、スポーツ関連まであらゆる事業を手掛けていることを強調する内容になっている。案内してくれた女性はこう胸を張った。

「ロシアの人口の1パーセント近くがガスプロムとその関連企業で働いているのです」

そのガスプロムは5月8日、不動産の売却に着手したと発表した。

オフィスビルやホテル、スパリゾート複合施設の売却先を探しているという。

次のページは

再び高まる核の脅威

再び高まる核の脅威

5月9日も核による威嚇を繰り返した

プーチン大統領は5期目に入り、核による威嚇を強めている。
就任式の前日、「戦術核」の使用を想定した訓練をロシア軍に指示した。これまで繰り返してきた、アメリカの主要都市を狙うような長距離の「戦略核」による威嚇ではなく、ウクライナでの前線での使用を想定した、短距離の「戦術核」の演習の実施を指示したのだ。

ロシア外務省は、戦術核の演習実施は、ウクライナへのNATO加盟国の軍の派遣やF16 戦闘機などの軍事支援に対するものだとして、「破滅的な結果を招く」と声明を出した。

しかし、NATO側が支援を躊躇すれば、ウクライナは更なる苦境に立たされる。

仮に今ロシア軍が攻勢を強めているハルキウが陥落するようなことがあれば、NATO側の支援はより決定的なものになっていくだろう。

関係者によれば、NATO側はロシアの戦術核の使用も想定していて、使用すれば中国をはじめ最低限の付き合いを維持してきた国々もロシアとの関係を絶つことになり、ロシアはいよいよ完全に孤立することになるとみている。

こうした事態を承知で、プーチン大統領がどのような決断を下すのかは誰にもわからない。

ある関係者によれば、ロシア軍内部には強硬派も多い。こうした背景を考えると、キリル総主教の「恐るべき決断」という言葉は一層不気味さを増す。

ベラルーシに自らが戦術核演習への参加を要請したと明かした(代表撮影/ロイター/アフロ)

5月9日の戦勝記念日でも、プーチン大統領は、相変らず核の威嚇を繰り返した。
演説で、核部隊が即応態勢に入っていると強調した。

その後、アレクサンドル庭園で無名戦士の墓に献花した際、ベラルーシのルカシェンコ大統領と二人で囲み取材に応じ、自らルカシェンコ氏に戦術核の演習に参加するよう提案したと明らかにした。

根強い反戦の声

すれ違った白いスカーフの女性

プーチン大統領がルカシェンコ氏と囲み取材に応じ、核の脅威を振りかざしていたちょうどそのころ――。

クレムリンから西へ8キロほど離れたポクロンナヤの丘にある勝利広場の献花台に、白のスカーフをまとった女性がやってきた。サングラスをかけ顔を伏せ、人込みに隠れ、警察の目をかいくぐるように、一輪の白いバラを手向けた。

じつは、この場所で動員兵の妻らの献花が呼びかけられていた。
目印は「白いスカーフ」。

いつもは、クレムリンの隣のアレクサンドル公園の無名戦士の墓へ献花するのだが、その日はプーチン大統領訪問のため、立ち入りが禁じられていた。

だが、ポクロンナヤの丘で白いスカーフをかぶった女性は、その人しかいなかった。

きびしい弾圧の前には仕方のないことなのだろうか。

反戦の声も潰えていくのだろうか。

公園の出口に向かっていると、足早に献花台の方に向かう他の女性とすれ違った。

頭には真っ白なスカーフ。手には花を携えている。

もしかして。

女性の後を追うと、献花台に周りにはいつの間にか20人ほどの集団ができていて、彼女もその輪に加わった。

女性たちは取り囲む警察官らを無視するかのように、いっせいに花を空に掲げ、献花した。

女性たちは花を空に掲げた

行き場を失いつつある閉塞した社会で抗い続ける人びとだ。

その日の夜、動員兵の妻らのSNSにはこう記されていた。

「私たちは、兵士を家に連れ帰るため、できる限りのことを行う」 この記事の写真を見る
・ハワイに日本人女性“入国拒否”急増…“海外出稼ぎ”増加 業者を直撃・「危ない橋」がいっぱいの米国 「来るものが来た」とおびえる市民・処理水批判の中国で“ブーメラン”魚売れず関係者悲鳴 日本は販路開拓で“脱中国”へ・宇宙人のミイラ? 空港で押収 “分析結果”ついに発表

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。