「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」資料庫にある資料をめくる栗原淑江さん=さいたま市南区で2024年11月26日、内藤絵美撮影

 今日まで一番悲しかったのは被爆者であること――。さいたま市南区の住宅街の一画にある資料庫。そこには、10日にノーベル平和賞を授与される日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の半世紀以上にわたる活動記録や被爆者の証言が保管されている。それは、苦しみの記憶でもある。

埼玉と都内に1万8000点

 資料庫を管理するのは、東京都千代田区のNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」(代表理事・木戸季市(すえいち)日本被団協事務局長)。継承する会がこれまでに収集、整理した資料は都内の資料庫にあるものも含め約1万8000点に上る。

資料を収めた箱が積み上がる「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の資料庫=さいたま市南区で2024年11月26日、内藤絵美撮影

 さいたま市の資料庫には約170個の白い箱が所狭しと並ぶ。保存に適した中性紙を使った箱を開けると、「あの日」以降の苦しみを被爆者自らがつづった文書が出てきた。

 「主人が爆死した事が一番悲しいことでした」「沢山(たくさん)の友達を亡くした。結婚適れい期に支障しました」。日本被団協が1983~84年に実施した調査への回答用紙だった。被爆40年を控え、被爆者運動の「憲法」とも言われる基本要求を作成する際の資料にもなった。

「こんな苦しみもうたくさん」

 当時、日本被団協職員として調査に関わった継承する会事務局の栗原淑江さん(77)は、今日まで一番悲しかったことを尋ねた項目に「被爆者であること」と一言だけ記してあったのを今でも覚えている。

 「万感がこもっていた。自由記述だけれど、その他の回答もどこかしらに『こんな苦しみは自分たちでもうたくさん。原爆だけはなくさなければ』という趣旨が書かれていた」

 継承する会は2011年、被爆者が残してきた証言や記録を受け継いで発信しようと作家の大江健三郎さん(23年死去)らの呼びかけで発足。翌12年には東京都杉並区に資料準備室を設け、亡くなった日本被団協役員の遺族から寄贈を受けるなどして資料収集を始めた。

難航する継承センター設立

「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の栗原淑江さん=さいたま市南区で2024年11月26日、内藤絵美撮影

 栗原さんによると、最初のころはリンゴの空き箱に無造作に入れられていた資料もあった。大学生の協力で約90箱分の資料を整理し、目録を作ることから始めた。

 資料の中には、国際会議で演説した被爆者が残した草稿やメモもある。被爆者の高齢化が進む中、こうした文書は被爆の実相を後世に伝えるために貴重なものだ。

 13年には収蔵や閲覧の拠点となる「継承センター」の基本構想を発表した。しかし、資金不足に加えて候補地選びが難航し設立できないまま10年以上が過ぎた。

道筋含め未来の人に伝える

 栗原さんは大学時代に長崎の被爆者を対象にした社会調査に従事したことがきっかけで、日本被団協の事務局員になった。政府との交渉や国際会議への付き添いなど約10年間めまぐるしい日々を過ごし、被爆者の軌跡を残す仕事をしたいと日本被団協を退職。被爆者による自分史のミニコミ誌の発行を手がけた。継承する会には発足前の準備段階から関わる。

「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の栗原淑江さん=さいたま市南区で2024年11月26日、内藤絵美撮影

 現在は継承センターの準備と並行し、デジタルアーカイブ化に取り組む。今年8月には被爆体験記のネット公開も始めた。「被爆の実相と聞いてイメージするものは人によって異なる。被爆者がたどってきた道筋も含めて未来の人に伝えるのが継承だと思う」と意気込む。

「声が届き、気持ちが刺さった」

 継承に向けた若い世代の動きもある。18年に始まった昭和女子大(東京都世田谷区)の「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」だ。

 日本近現代史が専門の松田忍教授が指導し、学生たちが資料庫を訪れ、毎年テーマを設定して研究や分析を行う。成果は学園祭などで展示している。資料整理も含めると、これまでに関わった学生は100人を超える。

 参加する学生の動機はさまざまだ。歴史文化学科2年の五十嵐文恵さん(19)は「実際の資料に触ってみたいと思って参加した。内容は重いけれど被爆者が歩んできた歴史に触れられる。実際に人が書いたものの熱量を感じた」。

 同学科2年の長畑明佳さん(20)は70年代の日本被団協による被爆者の調査表を読み込み、厚生省(現厚生労働省)の調査表と比較する展示を担当した。「ウクライナ情勢もあり原爆被害に関心を持った。被爆者の声がじかに届く資料は、気持ちが刺さる部分があった」と話す。

オスロで150人以上の写真掲げたい

 日本被団協の浜住治郎事務局次長(78)は「問題意識を持ちながら若い人が取り組んでいる。今後に広がる起点にもなる」と期待する。

 栗原さんは、ノーベル平和賞で日本被団協への関心が高まり、センター設立の追い風になればと願う。

 10日にノルウェー・オスロで開かれる授賞式には、日本被団協の代表団の一員として参加する。式典後にたいまつを持って街を練り歩く恒例のパレードでは、亡くなった被爆者や関係者ら150人以上の顔写真を7枚のパネルにまとめて掲げる予定だ。「ノーベル平和賞が資料の価値を知ってもらうきっかけになれば」。そう願っている。

 継承する会のホームページはhttps://www.nomore-hibakusha.org/

【椋田佳代】

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