日本三大小作争議の一つとされる大正時代の「伏石(ふせいし)事件」から100年となった11月29日、「百周年記念式」が高松市伏石町であった。伏石事件は第一次世界大戦後の恐慌の混乱期、小作農が地主に小作料の軽減を求めた争議が各地で相次ぐ中で発生。農民ら二十数人が検挙され、過酷な取り調べで自殺者も出て、全国的に注目を集めた。
地元では、事件の遺族や関係者らが慰霊碑を建て、実行委員会を組織して毎年春に慰霊祭を開いてきた。
慰霊祭実行委員会や「高松百年史」によると、事件の発端は、1922年6月、伏石地区の小作農約150人が小作料の減額を地主側に要求し、拒絶されたことだった。その後、小作農らは農民組合を組織して改めて要求。地主側は、収穫前の稲などの仮差し押さえを求めて訴訟で対抗した。これを巡って小作農らが24年11月29日に刈り取りを実行したことで窃盗・窃盗教唆罪として刑事事件に発展。25年に高松地裁で弁護士を含む22人が有罪となった。
減額要求については24年に調停が成立し、小作料の10~15%の減額が実現した。
一方、取り調べの過程で1人が自殺し、弁護士も28年の出所直後、農民らを刑事被告人にしてしまった責任を感じて自殺した。
記念式には約60人が集まった。実行委員長の植田重則さん(80)は、取り調べを受けた当事者の孫でもある。事件の背景や経過を解説した後、「私たちは小作人たちの3代目、4代目。100年前のご苦労を改めてしのびたい」と述べた。また、「戦前の民主主義がない時代に裁判では敗北したが、小作料の減免が実現し、後の農地改革の実現につながった」と評価する研究者の視点が紹介された。
実行委員会は今後、風化を防ぐために記念誌を作成する予定だ。【佐々木雅彦】
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