名解説者として知られた元横綱・北の富士勝昭さんが亡くなりました。82歳でした。
北海道旭川市出身で、中学卒業と同時に上京。青函連絡船に揺られ、上野駅に降り立ちました。
初土俵は1957年。それから6年かけて、ようやく十両に昇進。その年、全勝優勝するなどし、1966年には大関に。そして1970年、最大のライバル・玉の海とともに第52代横綱昇進を果たしました。
1971年9月場所千秋楽。結びの一番は、優勝をかけ、両雄がぶつかりました。立ち合いから、突っ張った北の富士。その後、相手にまわしを与えず、終始優位に進め、最後は、上手投げで勝ち、優勝を手繰り寄せました。
古参ファンの間で、今でも語り草となっているのは、1972年1月場所8日目の貴ノ花戦。左外掛けに出た北の富士。それに耐えた貴ノ花は、苦しい体勢から投げを打ちます。最初、北の富士の手が先についたとして、軍配は貴ノ花に上がりましたが、物言いがつき、“かばい手”だったとして、北の富士の勝ちとなりました。
10回目の優勝を飾ったあと、けがの影響もあり、1974年に引退。翌年の引退相撲では、断髪式のあと、白のタキシード姿で、レコード発売した自身の持ち歌を披露。会場から喝采を浴びました。
北の富士勝昭さん(当時74)
「(Q.地方のキャバレーで『来て歌ってください』」と言われると)場所が終わると1週間休みがありますから、その間、いろいろお呼びがかかった。ギャラが良かったですね。お相撲をとるよりも、ギャラが良かったもんで。やっぱりいけませんね、ああいうことはね」
引退後は、九重部屋を継承し、千代の富士、北勝海の両横綱を育て上げました。また、大相撲中継の解説者としても、歯に衣着せぬ評論で人気に。こんなユニークな一面も見せていました。
北の富士勝昭さん(当時74)
「(Q.いかがでしたかと聞くと『ごめん今ちょっと見てなかった』って)そういうとき、あるんですよね。1日2時間、なかなかそうもいかない。何げなく、今晩、何を食おうかなとかね。どこか行こうかなとか、ちょっと雑念が入りますよね。そういうときは、ちょっと見失うときありますね」
北の富士勝昭さんは、去年3月から体調を崩し、NHKの大相撲解説を11場所連続で休んでいました。後日、お別れの会が開かれる予定です。
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